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2018年01月03日

寝正月を決め込んで、日本の3-5世紀を夢想する

ぼんやりと元日を過ごす。

倭国→わ国→我が国(私わし我、日本語で「わ」って自分)
異人の質問に「我が国」って答えたのが「倭国」になった。

卑弥呼→ひみこ→日御子→天照大神(伊勢神宮内宮)
台与→とよ→豊→豊受大御神(伊勢神宮外宮)

邪馬台国→やまたいこく→やまと?→山戸・山門?→河内・瀬戸内海から見ると生駒山地が「山門」になってる奈良盆地??ということは、奈良盆地をヤマトと称すのは外側からの呼称?

女王卑弥呼の伝承が残って、伊勢に祀られることになった。何で伊勢なんやろう。

神武東征の時、河内で一度敗戦、その後、熊野から上陸して奈良盆地を制圧したみたいなあらすじだった。

実は、西方(北部九州?)の勢力が濃尾平野あたりの勢力(熱田神宮の祭神が日本中を暴れまわったヤマトタケルっていうのもなんか示唆的?)と結託して、河内+奈良の勢力を、はさみ撃ちにして制圧して、日本の天皇家の源流のヤマト朝廷ができた。その当時稲荷山古墳出土鉄剣(埼玉・5世紀)が示すように、少なくとも南関東あたりまでは、文化圏の優劣なく豪族が「クニ」を形成し戦国時代と同じような合従連衡がもうすでに可能だった。ただ、ある豪族はその地で安穏に、ある豪族は勢力拡大を、様々なスタンスがあったと思う。

そして神武東征という最大の制圧劇には最大の神社が必要、そして、領地は飛ばされる。だから伊勢に大きなお宮さん。
古い大きな神社は、滅ぼされた(恭順した?)地方領主を祀り、その地域を慰撫するために建てられたらしい。そして、特徴的な建築形式の建物ほど、そこには古くからの強い伝統と勢力を持っていたことになる。出雲・吉備・住吉は、そんな地域。普通は旧領地の中心地に祀られたが、都を据えるその地に旧領主を祀ることはできないので、旧ヤマトだけは神さん毎、同盟国だった(濃尾平野?)の領主の管理する端の方の伊勢に転封された。

征服する側は、現世の都を作ればいい、だから神社はいらない。広島以西には、あまり古い由緒ある有名な神社はない。っていうことは、やっぱり北部九州の勢力が瀬戸内(吉備)山陰(出雲)を併合しながら、最終的に奈良に都を築いた。それは、魏志のいう邪馬台国とは、直系ではない(神話上は直系にしている)。
そして、征服した豪族を全て神とし、無理やり一つのストーリーに仕立て上げたのが古事記なんちゃうかなー、と思う。作った時は、当時の範囲の日本中の人々に、「な、あんたんとこの神さん(元領主)もちゃんとここに入れといたからな」、みんな一つの「日本」なんやで、みたいな意味があった。

日本の代表的な神社の形式は、一間社流造、その源流は京都の下鴨神社。
っていうことは、日本の統治原理が全国津々浦々にまで行き渡るのは、平安時代?かなり多数の地方領主が恭順して、プロトタイプの神社を作った。

ツギハギの知識とちょっとした思いつきの私の正月の妄想です。


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posted by ほんだ at 07:58| 滋賀 ☁| Comment(0) | 歴史に興味が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする