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2019年02月03日

お父さんにぼう力を受けています。

 やったことは、ひどい。でもこう非難ごうごうになってしまうと、関係者の自殺とかも心配、恐怖に 気圧されての弱い人間(達?)の判断というからなおのこと。そういう形で幕を下ろしてはいけない。関係者は、いばらの道を愚直に真直ぐに進んで欲しい。
 事故や危機が迫ってる時、その経験がない人は、現在の状況のその事故や危機のレベルを低く見積もってしまう。そして、自分に都合の良い理屈をつけて誤った判断をしてしまう。自分が五感をフルに使って受け取った体験や見聞は、紙の上の知識とは比べ物にならないくらい豊穣なもの。そんな中で、それを作り上げた人間の知恵と歴史や自然の力の偉大さなどを肌で感じることが出来る。「身に染みる」というやつです。失敗でも、マニュアルに書かれているだけでは中々身に付かないが実際にやってしまったものは、しっかりと記憶に留まる。(許されない失敗もあるとは思うのですが)
 こういうことがあるといつも「葉隠れ」の一節を思い出す。葉隠れは江戸時代の武士という「官僚組織」に生きる処世訓、処世観として読むと、素直に入る部分がたくさんある気がする。事実、葉隠れの著者は「死ぬかたに片付かず」「一生越度なく家職を仕果し」隠居の余生に、この書を著わしている。 以下、葉隠れ巻頭の有名な一節。

(岩波文庫版原文)
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。圖(図)に當(当)らぬは、犬死などという事は、上方風の打ち上がりたる武士道なるべし。圖に當るようにわかることは、及ばざることなり。我人、生きる方がすきなり。多分すきの方に理がつくべし。若し圖にはづれて死にたらば、犬死氣違いなり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。毎朝毎夕、改めては死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果たすべきなり。

(色々な文献からパッチワークした、私のいい加減な意訳)
(高潔で偉大な、そして忠義を尽くすべき主君の下で、旧国の統治を任されている)武士(管理職)は、いつでも責任を取って死ぬことができる心持で、常に事に当たらねばならない。失敗があればそれぞれの場面ですぐに責任を取って死んでしまえばいい、それだけのことだ。その心持を持つことで、腹が据わる。未来の結果を見てみないと犬死だなどと考えてしまうのは、当世風の上方の武士道だ。将来の本当の結果は、誰もわかるはずがない。誰もみな、生きることの方が好きに決まっている。必然的にその好きな生きることの方に、理屈を付けてしまうものだ。もし、その時点での将来の判断を見誤り、死ぬほどのことではなかったのに死んでしまったところで、それは、バカなあわて者と思われるだけだ。恥にはならない(恥をかいたまま生き続けることの方が武士として余程見苦しい)。これが武士の常に持たなければならない心持だ。毎朝毎夕、自分の行いに、「今日、切腹に値するような間違ったことをしでかしてはいないか」と思っていれば、自分の思考にいらぬ拘束がなくなり大きな自由が得られ、公明正大な間違いのない判断が出来るものだ。そしてその心の持ちようで、一生落度なく、仕事を勤め上げなければならないし、そういう心持ちでいれば実際にそう出来るはずだ。

(何度も同じ文章の再録なんですが)
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posted by ほんだ at 07:48| 滋賀 ☀| Comment(0) | 食卓から政治・社会を論ず? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする