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2023年10月09日

日本の「くに」

ココ数年youtubeで、種々雑多な日本の古代史をみる。学術的?なのから、トンデモ論?まで。

 で、「くに」は、魏志倭人伝の時代でさえ「もと百余国に分かれ」ていたらしい。という事は、当時すでに、日本の旧国(近江とか山城とか越前とかそういうので68ヵ国)にわりと似た形で「くに」が出来てたっちゅうことチャウかなー、と。旧国 ≒ 藩のTOPは、「守(かみ)」という。それって、ヤマト王権成立以前に、もうそれぞれに旧国単位くらいの大きさで「くに」が成立してて、その統治者を「かみ(神)」と呼んでた頃からの自然な流れチャウかなー。それは、現在でも自分のふるさとの事を「くに」と呼んだり、方言の事を「お国ことば」というところに、連綿と繋がってるんチャウかなー、と。

 そして、弥生後期から古墳時代、それらの神々(統治者)達は、ヨーロッパ中世のハプスブルグ家やブルボン家のように、婚姻関係で結ばれてたり敵対したりしてた。その、迷宮のような関係を、都合よく取捨選択してツギハギしたのが、古事記や日本書紀の神々から天皇家へつながる系譜なんチャウかなー、と。つまり、規模は小さいが「くに」の関係性からいうと、日本は、ヨーロッパの中世ような混沌?の時代を古墳時代に既に経験して「ヨーロッパ国?」単位の「日本国」が今出来てる、チュウことチャウんかなー、と。

 「当たり前やん、昔からそうやと思てる」って言われるかもしれんけど。

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posted by ほんだ at 09:51| 滋賀 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史に興味が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする