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2008年06月16日

秋葉原の殺人事件について思う

また、殺人事件がおきました。こういう事件で思うことなどを。
原因と結果のとても希薄な(常識的には考えられない)因果関係に、考察が集まり、
それが、ニュースとしての報道価値があると考える人が多いせいか、
そんな話ばかり聞かされることにうんざりします。
そして、その考察からこの種の犯罪の抑止の方法が見出せるかのように
語られることにもうんざりします。
私は、このような事件が起こる度に似たようなことを聞かされるように思います。
劇場犯罪などと。
そういうことが積み重ねられると、犯人の心情を慮って、考察するということが
本当に報道する意味のあることなのだろうか、と思ってしまいます。

私は、そういうこと以外にの事件に関わりのあることで、
犯罪の抑止に繋がるようなことが他にもあるのではないかと考えました。
そして、こう考えました。
犯人が、犯罪へ至るまでの経過ではなく、
犯罪を犯したあとの経過をちゃんと報道することの方が犯罪の抑止になるのではないかと。

常識的に考えて、秋葉原の犯人は死刑になります。
この犯人や犯人の親に人権はあるのかもしれませんが、
今後、この人がどうなるか、
彼のご両親がどうなるのかということなどを、
事実として淡々と報道することの方が、
余程、犯罪の抑止になるような気がするのです。

犯罪を犯すまでの過程を追うのではなく、
犯罪を犯した人間が、どのような状態に置かれるのかを
報道することの方が、犯罪の抑止に繋がるような気がするのです。
彼は、死にます。
死ぬまで、警察の留置場と刑務所しか生活する場所はありません。
彼が望んでいるかどうかはわかりませんが、
親兄弟又は友人と水入らずで話すこと、食事をすることさえ、
死ぬまで出来ないと思います。
結婚も無理でしょう。
その他、数えきれないような制約の中で、彼は生き続け、
事故でも、病死でも、自殺でもない死期を迎えることになるのです。そんな当たり前のこと、
普通に生きていれば出来るはずのことが何一つ出来ない、
そんなことの具体的事実の一つ一つを
報道して行く事の方が、余程犯罪の抑止に役に立つことのように思うのですが・・・
私は、犯罪者達がそのような当然の帰依に、思いを巡らしていない。
個人的な資質なのかその世代のものなのかはわかりませんが、
このような当たり前のこと、人間社会の常識、そんなものが
彼らの頭の片隅にさえも残ってはいないように思えてならないからです。
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ラベル:秋葉原の殺人
posted by ほんだ at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 情弱モノがメディアを論ず? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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