このことでいくつかの私の独断の考察をしてみます。
1.弔辞の紙は白紙だったか?
2.赤塚不二夫氏が亡くなられてすぐのタモリさんのコメントについて
3.なぜ、私がタモリが好きなのか?
4.テレビというメディアについて
1.弔辞の紙は白紙だったか?
多分、そうだったのだろうと思います。正確に言えば、
言いたい事のキーポイントみたいな言葉を、いくつか書かれていたものを使っていたか、
もしくは、その辺のことも全て頭に叩き込んだ白紙だったか、どちらかではないかと思います。
何故かといえば文章で書けばそんな言い回しにはならない、個所が何ヶ所かあるからです。
タモリさんや、そのバックに付いている放送や言語に関わる人たちが推敲したとすれば、
こんなおかしな間違いはしない、という個所がです。
詳しくは、下のほうに弔辞全文をコピペしたものがあるので、参照して下さい。
・赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう
謙譲語の使い方が全体的に統一されていない
・ライブみたいなことをやっていた時にあなたは突然私の眼前(ガンゼン)に現れました
口語的言い回しと漢語的言い回しがごちゃごちゃ
・それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ
初めて会って、住む所がないことがわかるわけがない、
文章で書けばせめて「住むところがないそうだから」という表現になる。
・この突然の出来事で、重大なことに、私はあがることすらできませんでした。
文書で書けば、この突然の重大な出来事に、のはず。言い回しがおかしい etc.
2.赤塚不二夫氏が亡くなられてすぐのタモリさんのコメントについて
TVで「大恩人赤塚不二夫さんの・・・・」コメントをタモリさんがされた。
当時、ヒョウヒョウとしたタモリさんには似つかわしくない発言に思えた。今から思うと、
赤塚不二夫氏の死に接して、何かしたいということの現われのような気がします。
喪主はご子息、葬儀委員長は藤子不二雄氏、
タモリさん以外の弔辞を読まれた方は全て漫画家の方々。
有名な人にしては亡くなられてからお葬式までの間も短い。こう見ると、至極円満なお葬式。
近親者や漫画家同士の知合いの中で、順当に色々なことが決定されていったように思える。
自分の経験からもいえることですが、
お葬式って、近い親戚や近くの人達が、すぐに集まって、すぐしなければならないので、
どうしてもその人脈に情報が偏り勝ち、あの人にも、お知らせしなければいけなかった
ということが、いくつかは起こりがちです。
タモリさんは漫画の同僚やアシスタントとは別の故人の人脈。
お誘いがかからなければ、弔辞を読むことは出来ず、焼香をするのみ。
「大恩人赤塚不二夫氏に、そうではない何かをしたい。私がいる。」
というのがあのコメントだったのではないか。
そして、有名であることをあまり誇示しないタモリさん(私の独断的イメージです)が、
初めてマスコミを利用して
葬儀を取り仕切る人たちにプレッシャーをかけたのではないでしょうか。
結果的には、両者の意見が合致し、いいお葬式といい弔辞になったと思います。
そして、このような間柄は、
タモリさんとピアニスト山下洋輔にも通ずるように思います。
どちらが先に逝かれるかはわかりませんが、
どちらにしても生前の交歓を丁寧かつ見事に披露されるのではと。
3.なぜ、私がタモリが好きなのか?
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。
あなたも同じ考えだということを、他人を通じて知りました。
この弔辞の一文が、私がタモリさんを好きな理由です。
タモリさんがどんなことをしていても、その根底に流れるシャイな感じ。
それが、この言葉から見て取れ、そういう感じ方が私の波長と合うのだと思いました。
4.テレビというメディアについて
YouTobeのタモリさんの弔辞を見ていて、何だか脈絡が合わない所、
ニュースでは8分と言っておきながら、YouTobeのビデオは6分弱。
何だか変だと思って探したのが
コピペ馬鹿 〜創造力の欠如〜◆タモリ弔辞全文◆です。以下、引用させて頂きました。
太字の所は、YouTobeで見れなかった個所、ということはTV放送でカットされた所。
※※の部分はそれに対する私の感想です。
弔辞
8月2日にあなたの訃報に接しました。6年間の長きにわたる闘病生活の中で、
ほんのわずかではありますが回復に向かっていたのに、本当に残念です。
われわれの世代は赤塚先生の作品に影響された第1世代といっていいでしょう。
あなたの今までになかった作品や、その特異なキャラクター、私たち世代に
強烈に受け入れられました。10代の終わりからわれわれの青春は
赤塚不二夫一色でした。
何年か過ぎ、私がお笑いの世界を目指して九州から上京して、歌舞伎町の裏の
小さなバーでライブみたいなことをやっていた時に、あなたは突然私の眼前に
現れました。その時のことは今でもはっきり覚えています。赤塚不二夫が来た。
あれが赤塚不二夫だ。私を見ている。この突然の出来事で、重大なことに、
私はあがることすらできませんでした。終わって私のところにやってきたあなたは、
「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるから
それに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、
こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、
この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。
それから長い付き合いが始まりました。しばらくは毎日新宿の「ひとみ寿司」
というところで夕方に集まっては深夜までどんちゃん騒ぎをし、いろんなネタを
作りながら、あなたに教えを受けました。
固有名詞はカットされてしまうのか?
いろんなことを語ってくれました。 笑いのこと、映画のこと、絵画のこと。
他のこともいろいろとあなたに学びました。
あなたが私に言ってくれたことは、いまだに私にとって金言として心の中に
残っています。そして仕事に生かしております。
赤塚先生は本当に優しい方です。シャイな方です。麻雀をする時も、相手の
振り込みであがると相手が機嫌を悪くするのを恐れて、ツモでしかあがりませんでした。
あなたが麻雀で勝ったところを見たことがありません。その裏には強烈な反骨精神も
ありました。あなたはすべての人を快く受け入れました。そのためにだまされたことも
数々あります。金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります。しかし、あなたから
後悔の言葉や相手を恨む言葉を聞いたことはありません。
麻雀から連想される賭博的要素、
だましだまされという世間の常識を変なオブラートで包み隠してしまう。
タモリさんも知っていて、今畜生と思っているだろう
「大きな打撃を与えた相手」を想像させる部分は一括して消してしまう、
TVのぬるま湯的発想
あなたは私の父のようであり、兄のようであり、そして時折見せるあの底抜けに
無邪気な笑顔は、はるか年下の弟のようでもありました。あなたは生活すべてが
ギャグでした。たこちゃん(たこ八郎さん)の葬儀の時に、大きく笑いながらも
目からはぼろぼろと涙がこぼれ落ち、出棺の時、たこちゃんの額をぴしゃりと
叩いては、「この野郎、逝きやがった」と、また高笑いしながら大きな涙を流して
いました。あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。
固有名詞が入っているからといって、このエピソードを割愛するのはいかがなものか
あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れる
ことです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、
また、時間は前後関係を断ち放たれて、その時、その場が異様に明るく感じられます。
この頃のテレビは真実から何か離れている。
この辺の哲学的な、かつ難解で本質を突いている言葉を、
少し「暗い感じ」だからといって割愛してしまうのが、
真実から離れてしまう原因なのだろう。
タモリさん本人もここを割愛されたのは遺憾に思っているはず
この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、「これでいいのだ」と。
今、2人で過ごしたいろんな出来事が、場面が、思い浮かんでいます。軽井沢で
過ごした何度かの正月、伊豆での正月、そして海外への、あの珍道中。
どれもが本当にこんな楽しいことがあっていいのかと思うばかりのすばらしい時間でした。
最後になったのが京都五山の送り火です。あの時のあなたの柔和な笑顔は、
お互いの労をねぎらっているようで、一生忘れることができません。
この部分はなぜ割愛されたのかわからない、
前後と少し脈絡が薄いので放送時間の都合なのだろうか
あなたは今この会場のどこか片隅で、ちょっと高い所から、あぐらをかいて、
ひじを付き、ニコニコと眺めていることでしょう。そして私に「おまえもお笑い
やってるなら弔辞で笑わしてみろ」と言ってるに違いありません。
あなたにとって死も1つのギャグなのかもしれません。
私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。
私はあなたに生前お世話になりながら、一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、お礼を言う時に漂う他人行儀な
雰囲気がたまらなかったのです。あなたも同じ考えだということを、他人を通じて
知りました。しかし、今、お礼を言わさせていただきます。
赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私もあなたの数多くの作品の1つです。合掌。
平成20年8月7日、森田一義
関連ブログ(ちゃんと書かれたものがあった、という文学専門家の考察)
◎サンキュータツオ教授の優雅な生活>タモリの弔辞は白紙だったか検証してみた。
タモリ関連MYブログ
◎14/03/31 タモリさんの今後に期待
◎13/10/24 タモリさんの笑っていいともが、来年3月に終了のニュース
◎11/02/22 そういうと、横澤さんが亡くなった(TV time goes by 02)
◎11/02/24 タモリさんもだいぶ髪型が変わった(TV time goes by 03)
◎08/02/26 「タモリ」さん H13.2
◎08/08/08 巨星落つ、赤塚不二夫さん。そしてタモリさん
◎08/08/09 赤塚不二夫氏の葬儀の素晴らしいタモリさんの弔辞 考察
◎11/06/18 昨日一昨日とは少しヘビーでしたが、今日は木村充揮さんのことなどを
◎12/12/13 山下達郎の定番のクリスマスソングの替え歌
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
MY facebook ページ
滋賀県立大学・田の浦fanclUb滋賀サポートチームが関わる震災復興プロジェクトLINK
重要文化的景観 海津・西浜・知内の水辺景観 ●WEBSITE ●facebook
Vipo ヴォーリズ今津郵便局の会 project ●WEBSITE ●facebook