
******************************************************************************
連休に、倉庫の整理をしていたら、その建物の棟札(ムナフダ)が見つかった。


「本田f書」と書いてあるので、私の父自身が書いたものなのだろう。
数え年44歳、今の私より10歳下である。
私の祖父は、生まれの越前をどうも地元にいられなくなるようなことをして出奔したらしい。
だから、本田という苗字は、マキノ町在原生まれの祖母方の苗字だ。
祖父は、材木商とは名ばかりで、木挽きや素材の販売をしていたらしい。
その祖父の50近くになっての一人っ子が私の父である。
祖父は、残す財産とてほとんどなかったはずだ。
しかしその後を継ぎ、山の木出し・素材の販売・建築の請負などを手がけていた父は、
この年に初めて、小さいながらも製材機を据えた工場を建設できた事になる。
大正15年生まれの父は、終戦を舞鶴の軍港で迎え、その後森林組合などに数年就職した後、
祖父の後を継ぎ約二十数年、
長男だった兄も国立の大学に入学し、自身も始めての大きな設備投資をすることが出来て
何だか、気力充実という感じである。
祖父を一面では尊敬し、また一面では反面教師にしていたらしい父は、生真面目で、このような神さん事はきちんとしなければ気がすまない性分だった。
棟札に、家族全員の年名前と年齢が記されていて、
何だか、一家の大黒柱が一大事業を成し遂げ、これから頑張るぞ、
という、当時に父の高揚感が伝わってくる。
建物は、安曇川の広瀬小学校の木造校舎の一部を移転と書かれている。
当時、学校校舎の鉄筋コンクリート造への改築工事が次々となされ、
その解体材を再利用したようだ。
写真の棟札の横のギザギザの模様は、
当時の木造校舎の外壁仕上の定番、南京下見板張り(鎧板張り)の出隅などの納めに用いた、
縦の留縁の加工のようです。
当時は、鉄筋コンクリートが最新最良の建築手法だったと思っていたのですが、
今、鉄筋コンクリートの建物が解体されるときには、このように建築資材を再利用することは出来ない。環境負荷的にはどうなのだろうか?
近代建築技術の発展というのは、まだまだ行きつ戻りつの感があります。
以下は、私の仕事のコマーシャル
◎ほんだ建築トップページへ ◎ブログランキング


◎マキノのほんだ建築は、ただいま工事中 (滋賀咲くBlog 内の会社のブログ)
◎はじめて家をと考えている方へMYブログ08/09/08-みんな打合せをうまく進めたい
◎土地込み940万円のセカンドハウスのプランを作りました(インフォメーション08/04/02)
◎住宅・セカンドハウスは、随時ご案内(室内も)出来ます(インフォメーション08/02/11)
地域特性に造詣の深い地場の工務店や設計士を見直して頂ければと思います。地場で仕事が
完結すること自体、ヒトやモノの移動エネルギーが少なくてすむ環境負荷の少ない選択であり、
かつ 住宅建築は個人ができる身近でとても大きな地域振興でもあります。 また、地元で
長く仕事を続けられているということこそが品質をおろそかにしなかった証拠ではないでしょうか。
☆☆ とりあえず、ハウスメーカーを選択肢から外して、家作りを考えてみませんか ☆☆