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2013年04月17日

まだ終わっていなかった水俣病

滋賀県立大学,田の浦ファンクラブ滋賀サポートチームが関わっている震災復興プロジェクトlink
ほぼ100%高島産の木と高島の職人による家づくり>モデルハウス完成!(設計監理を担当)
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【水俣病訴認定訟】最高裁判決要旨 遺族側が勝訴、最高裁が初認定

わけもわからず宇井純氏の公害原論を読んだのはいつの日のことだったのだろう。
まだ、終わっていなかったんだ。

以下、宇井純 WIKIの抜粋(2006年11月11日他界 享年74歳)

・・・日本ゼオン勤務時代、塩化ビニール工場の製造工程で使用した水銀の廃棄に関わっていたことから、水俣病の有機水銀説に衝撃を受け、大学院生時代から水俣に足を運び、合化労連の機関紙に富田八郎(とんだやろう)のペンネームで連載した記事により、水俣病の問題を社会に知らしめる発端を作った。将来を嘱望されていたが、助手就任の1965年に新潟水俣病が発生し、実名での水俣病告発を開始したため東大での出世の道は閉ざされ、「万年助手」に据え置かれた。従来の科学技術者の多くが公害企業や行政側に立った「御用学者」の活動をしてきたと批判し、公害被害者の立場に立った視点を提唱し、新潟水俣病の民事訴訟では弁護補佐人として水俣病の解明に尽力するなどの活動を展開した。
1968年から1969年にかけ、東大闘争の最も激しかった時期にはWHO研究員としてヨーロッパに留学していた。
帰国した1970年より、公害の研究・調査結果を市民に直接伝え、また全国の公害問題の報告を現場から聞く場として公開自主講座「公害原論」を東京大学工学部82番教室にて夜間に開講。 以後15年にわたって講座を続け、公害問題に関する住民運動などに強い影響を与えた。こうした活動は大学当局にとっては非公認の活動であったが、外部からは、同時期に都市工学科の助手だった中西準子とともに「東大都市工学科の良心」とみなされることもあった。・・・

判決翌日のニュース

<水俣病>環境省次官、認定基準「変える必要ない」
弱者にきびしい、現安倍政権のような・・・。民主党政権下の環境省なら、こう答えただろうか?

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地域特性に造詣の深い地場の工務店や設計士を見直して頂ければと思います。地場で仕事が
完結すること自体、ヒトやモノの移動エネルギーが少なくてすむ環境負荷の少ない選択であり、
かつ 住宅建築は個人ができる身近でとても大きな地域振興でもあります。   また、地元で
長く仕事を続けられているということこそが品質をおろそかにしなかった証拠ではないでしょうか。

☆☆ とりあえず、ハウスメーカーを選択肢から外して、家作りを考えてみませんか ☆☆
posted by ほんだ at 21:31| 滋賀 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 食卓から政治・社会を論ず? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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