社会へ出て1ヶ月、とりあえず何だかしんどい。
社会(会社)は、個人という地金を磨くことしかしない。
素材と研磨材の相性が合えば、段々輝いてくるのだろうが、
相性が合わないと、素材のほうが摩滅してしまうこともある。
素材(個性)の方も金属だったり、木だったり、石だったりする。
それによって研磨材は変わるし、
同じ素材でも最初は番手の荒いものから始めて、段々と細かい番手のものに変わってゆく。
石の上にも三年
とは、磨かれる素材の方が、磨く研磨材と合っているかどうかのお試し期間のようなものだと思う。
うまくすれば「磨かれてきれいになっていっているな」と感じられることもあったりする。
合わない研磨のされ方の3年間だとしても、それはまた経験として初回は無駄にはならないと思う。
ただ、最初は、とりあえずガリガリと肌を擦られる。
それが嫌だといって、すぐ別の方向へ向かっても、また別の新たな研磨材が待っているだけ。
いつまでたっても「磨きがかかった状態」へは、たどり着けないのような気がする。
五月病などという言葉が歳時記的に耳に入って思ったことなどを。
2013年05月08日
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