最近、小倉智昭氏がとくダネ!の中で、久々の大ヒット曲となったFlavor Of Lifeについて
いい歌詞だなー。離婚の真情だよなー。こういう詩って、幸せな時には書けないのだろうなー。
不幸を糧としていいものが出来るっていう言い方は、
本人にはあまり良くないことかもしれないけど、実際の作品を見るとどうもその傾向がある。
天性の才能を持った宇多田ヒカルというアーティストでさえこうなんだろうなー。
というような趣旨の発言をされてました。
♪「ありがとう」と君にいわれると何だか切ない
そこには、分かり合えない男と女の「普遍」、
嫌いになったわけじゃなくすれ違い、という感じが見事に描き出されているように思います。
また、宇多田ヒカルさんの「It's Auotomatic」
♪アクセスしてみると映るコンピュータースクリーンの中
チカチカしてる文字、手をあててみると
I feel so warm
作詞家であり音楽評論家の湯川れい子氏が
「コンピューターの画面の中の恋人の文字に手を当てて暖かさを感じるというこの歌詞は、
もうとても私にはかけない」と、若者と時代の恋愛感覚を紡ぎ出したその詩を絶賛していた。
何かのインタビューだったと思うけれど、私の心の琴線に触れて記憶に刻み込まれています。
クリエイトとは自分の中にある、新たな普遍を発見すること。
新た、創造だから当然
もう一つ、クリエイトがクリエイトとして認知されるには、普遍性が必要。
新しくても独りよがりなら単なるわがままの産物、
時代や世間に受け入れられるためには、作り上げたものがある種の指向をもったまとまりに
共感や納得感を得られなければならない。
その時代や世間の「普遍」を我が身の中に蔵しているのを才能というものなのかもしれない。
そして、それを発掘し何かのカタチにする作業が、エジソンの
「天才とは1%のひらめきと99%の努力だ」という言葉に表されている。
この「1%のひらめき」という言葉の中にはそれがないといくら努力しても天才にはなれない
それが凡人と天才の違いであるという冷徹な格言でもある。
歌詞のことを書いていたら、ひとつ浮かんできました。
荒井由実(松任谷由美さん)「海を見ていた午後」です。
一人ぼんやりと追憶にふける情景としての「ソーダ水の中を 貨物船が通る」という部分。
ちなみにGoogleで「ソーダ水・貨物船・ドルフィン」で検索してみたら、
山のように検索に引っかかってきました。当時の若者の「共感」を得ていた証左でしょう。
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ハウスメーカーのAD広告、新聞の全面広告、モデルハウス、チラシ、分厚いパンフレット、
立派な社屋。それらの費用の合計はどれ程でしょう? ある住宅会社の決算をネットで見ると
(原価/売上)が72〜75%、建物代金の1/4は、その広告等の経費や利益になる計算です。
とりあえずそこを選択肢から外して、家作りを考えてみませんか。 住宅建築は個人が
できる大きくて身近な地域振興でもあります。地場の工務店を見直して頂ければと思います。
2007年03月20日
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