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2014年12月16日

本当に、この道しかないのだろうか?

おはようございます。年間250ミリシーベルト

チョット前のほんの小さな記事が、頭の中に引っ掛かっているのである。

「放射線従事者 線量限度」で検索すると、現行の法令で
実効線量で 5 年間につき 100mSv、1年間につき 50mSvというのが、
いっぱい出てくる。年間250mSv、というのはその15倍。
現行法令で、放射線従事者が45年、ほぼ一生の仕事人生で
受ける線量を3年で受けてもOKという基準である。

こういう数字って、原発での作業従事者の数と、
一日の被曝量などを逆算して、これくらい上げないと、
作業を遂行することに支障をきたす、
などという、誰のための論理なのかわからないものが、
原子力規制委員会の空気を支配し、
そのような決定がなされたように感じてしまうのである。

日本の為政者の間違った決断が、
太平洋戦争の敗戦へと繋がっていったのと比較してみる。
いつの時代も似たような順番で物事が進んでいるのに、
と思ってしまうのである。

1941.12.1アメリカの経済封鎖による太平洋戦争開戦への最終決断
1955(高価な)石油エネルギー以外のエネルギーとして原子力発電を選択

1941.12.8 真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)
1966 初の商用原子力発電

太平洋戦争開戦当初の頃の連戦連勝
原子力発電所の発展

1942.5.5 珊瑚海海戦での日本初の空母損失
1995 高速増殖炉もんじゅの度々の事故でその開発が進まず、
   核燃料リサイクルの基本計画が破綻

1942.6.5ミッドウェー海戦で大敗
2011.3.11 東日本大震災

1945.8.6原爆投下 と1945.8.15ポツダム宣言受諾(敗戦)
いつがそれに当たるのかは分からないが、そうならないよう
今、大きく、原子力エネルギーからの脱却を決断する時期ではないかと思うのだか・・・
今回の小さな記事が、特攻隊志願とダブルイメージになってしまうのである。
(ゴマメの歯ぎしりでした)

以上、12/18追記
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おはようございます。昨日の京都新聞の記事から。
本当に、この道しかないのだろうか。
太平洋戦争末期、お国のためと言って死んでいった
特攻隊員と、原子力発電所の作業員の方が、
ダブルイメージになってしまう。
ミリシーベルトってのはマイククロシーベルトの
1000倍なんですよ、何て、言ってたことがあったような。
それが、100ミリシーベルトになり、
今回250ミリシーベルト。
原子力規制委委員会の田中さんという賢い方は、
原子力現場作業員だけが、
放射能耐性の高い、特殊なヒト生命体だとでも
思っているのでしょうか。
そして、このような原則のない苦渋の決断が、
日本を戦争へと引き込んで行ったり、
不動産バブルを起こしたりしたのではなかったのだろうか?141213sennkyo1.jpg
posted by ほんだ at 09:23| 滋賀 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 原発・電力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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