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2016年05月02日

父親の歴史が出てきた

父親の歴史が出てきた。
私の祖父の死の件、昭和28年の綴りからは外れていた。
紙も黄ばんでいないので、後から書き足して挟んだようだ。
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昭和28年3月20日
本名 丸田與作
通称 伊藤弥曽太郎
当年 77才
知内川尻にて雪折れ松伐採中、伐採木の下敷となり、左肋骨全部折れて心臓が潰れて死す。
父は、明治10年1月10日
福井県丹生郡白山村字菖蒲谷(現越前市・旧武生市)に生まれる、日露戦争に従軍す。陸軍上等卒であったとの事。当時、読み書き算盤の出来る者少なかりしとの事で、中々上等卒になれぬものであった由である。
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祖父の本名をこの歳になって初めて知った。
祖父は、福井県で所帯を持っていたが、出奔して、私の祖母である「本田つる」と結婚し、
その後通称名で一生を過ごした。
父誕生の時、祖母23歳、祖父49歳と中々微妙である。
私が高専に入学する15歳の時、謄本を見て、
自分の父親の父の欄が空白になっていることを初めて知った。
父も祖父 死亡当時は、その出自に関して詳しくは知らなかったのだろう。
子供の頃、父は「ルーツ」探しをしていたことがあり、
いつごろからか、実の異母兄弟との交流が始まり死ぬまで淡い交流は続いた。

露出狂みたいですみません。
しかし、父が死ぬまで、コヨリ綴りて半紙にこのように書き留めていた、
っていうことが何か時代を感じるようで。
義理を欠いた生き方の祖父を反面教師としてか、世間の義理を重んじていた父。
中身は、ほとんどが誰からいくら頂いたかに費やされている。

私の歴史は、パソコンとブログかなー。こんなことしてるから、整理が進まない。

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posted by ほんだ at 07:07| 滋賀 | Comment(0) | TrackBack(0) | 親や老い(思い出・病・死 etc) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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