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2017年02月17日

母が死んだ

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1月14日午前3時前に母が亡くなった。
今日(2月17日)満中陰(浄土宗では三十五日、他宗派の場合は四十九日という場合もある)
の法要も終え、一連の忌み事も一通り終えた。
母は、認知症になって長く近所とのお付き合いも疎遠になり、
かつ満九〇歳という大往生で、知り合いも多くは他界されている、という現状。
かなり衰弱が進んできた数ヶ月前からどうしようか?と思っていたら、
田舎の付き合いに人一倍義理堅い親戚の方から「家族葬でいいんじゃないか」
という助言を頂いた。
あの人でもそれでもいいというのなら、「家族葬」でしよう、と心に決めていた。
農協の経営する葬儀場で通夜・本葬を、十数人の濃い親戚と家族だけで勤めた。
(なので、今更ですが、当方への香典などは無用です)

遺品を整理していると、一枚の診察券が出て来た。
日付を見ると2004.3.17、その日のことは今でも目に浮かぶ。
味噌汁をつけっぱなしにして何度も焦がしたりはしていたのだが、
普通の物忘れじゃない、妙な表情の違和感。
いくつもの小さなことの積み重ねから、おかしいと感じ
「ボケ」外来と銘打つ県内でも有名な病院に連れ行き、問診。
(当時まだ「認知症」という言葉がなかったような気がする)

100-7は?93。じゃー93-7は?、に答えらない。
漢字を見せて「この漢字覚えてて下さいねー」と言ってすぐ隠す。
そして数十秒の雑談の後、その隠した漢字が答えられない。
そんな何種類かの検査を横で見ていて「あーやっぱり」と感じた。
その後、医師から、「初期です」との診断。
あの、妙な悲しさを感じたときから、13年の時間が流れたことになる。
あのときあたりから、確実に、母と共に笑い共に悲しむことはなくなっていった。
その時の診察券だ。

それから、要介護度5に認定されるまではそんなにかからなかった。
7年の時間が経過した頃のMYブログ。

ここ2,3ヶ月は、家で数時間毎に、ポヤポヤと薄く毛の生えた陰部を眺めながら、
紙おむつを取り替えることにもかなり抵抗がなくなってきました。
電気毛布は、お漏らしの液が乾燥しそれを繰り返しているために、
独特の臭気がしてしまいます。
数日毎に繰り返される大便の排便時には、
上手くオムツの中に納まればまだいいのですが、気持ちが悪いせいか、
オムツを外して手で何とかしようとして色々な場所に便をにじくってしまう
そんな母です。
喜怒哀楽の感情の共有がほとんど出来なくなった
そんな母との、数年間の日常は、情けなくやるせないものです。

その後、だんだん動けなくなるようになると、逆に手間がかからなくなった。
デイサービスなど色んな介護メニューを使わさせて頂いての上のことではあるが。
そして、三年前には介護施設に入所。
そんなある日の出来事。

たまに、母の入所している介護施設に行く。10人くらいは、広間に溜まっているのだが、
てんで視線がバラバラで、奇妙な静けさが漂う空間。
私、これだけでいたたまれなくなりそう。
保育所なら、成長する楽しみがモチベーションになると思う。
でも、介護の現場でモチベーションを保つことって、常人では困難じゃないか、とも思える。
機嫌が悪くて騒ぐ(わめく?)私の母を見て、「反応があるだけまだいいんです。」と、
私への気遣いではなく、さらりと本音っぽく答えられたとき、本当に大変な職場だと思った。

その介護施設で半年前、終末期医療のアンケートがあった。
介護施設での「みとり」でお願いします。
もちろん無用の延命治療は不要、というスタンスでアンケートに答えた。
基本的に、自身で食事が飲み込める(嚥下)うちは、食事を与え続けることになる。
それができなくなるとやばい、との説明に、そりゃそうゆうもんなのだろう。
改めて「死ぬのも大事業だなー」と、思ったりもした。

それまではそんなに連絡もなかったのだが、
死の1週間前くらいから、毎日又は一日おきくらいに電話連絡が来るようになった。
電話が来るたびに、介護施設に立ち寄る。
まーまた安定してきたみたいです、みたいな会話が、何回か続き、
14日午前0時頃に今思い返すと最後の電話が鳴った。
それまでは、頻繁とは言え、そんな時間帯の電話はなかった。
「明日、朝でもいいですか?」みたいな電話応対をしたのだが、
やっぱり気になって、降りしきる雪の中介護施設に行った。
すると、深夜にも関わらず、担当のケアマネさんも車を飛ばして私と同じように来た。
深夜にも関わらず電話する、っていうのはそれなりに理由があるんだ。
「昨日、久しぶりに便が出たんですよ、
亡くなる前に腹の中のものすっかり出してキレイになるんです。不思議とそうなんです。」
そんな話をしながら数時間。
妙に薄目を開いていたのが、何かの拍子に目を閉じ、安らかな表情になる。
そして、呼吸が浅くなり、止まる、
息を詰めて見ていると、一分後くらいにまた息をする、
そんなことを数回繰り返して、もう動かなくなった。
介護施設の方は何度も同じ経験をされていて、それなりに死期を見定めているもんなんだなー、
と、母の死より、介護職員さんチームのプロの仕事に感じ入っていた。
それから朝までは、退所の作業や葬儀の準備などで慌ただしく過ぎた。
そして、意外と早く冷たくなるもんだと、体感した。

心が通じ合わなくなって十数年。
現在の、首から下の医療技術と、首から上の頭の中の医療技術のアンバランスが、
家族(私)にとっても、母にとっても無意味な時間を作ってしまった、ような気がしてならない。
そして無用の医療介護費用の国の負担も。
もう少し、上手に亡くなる手法はないのだろうか。

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posted by ほんだ at 20:22| 滋賀 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 親や老い(思い出・病・死 etc) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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