★グラウンドに面した建物の屋外コンセント壊した後の補修が?
左側に野球のボールが何度も当たってそうな跡が。
以下の三つは三年前にも同じ指摘を、でも、中々直りません。
維持管理の予算措置というのも中々大変みたいです。
★サビで穴が空き中身が見えるプルボックス
★パラペット、モルタル浮いたとこ、大規模改修でウレタン塗布防水してもあかんわなー
★多分雪の影響で瓦棒のキャップがずれ落ちてる。
現代のコンクリート建築っていうのは、
常に新品に戻すようにメンテし続けなければならない??
なんか、矛盾みたいの感じるのよねー、
ピカピカにペンキ塗りたくって、新品「風」に戻す「大規模改修」っていうのが。
自分の仕事がよくわかりません。
以下、開高健 オーパの中のブラジリアより
・・・・こうしてブラジリアはそこに、そのまま、おかれている。
今日も輝いている。まるで昨日生まれたばかりのように輝いている。
構造物たちはまだ細根も、地下茎も、気根も生やしていない。
しかし、建築物も人と同じように年齢を知らずにはいられないし、
体のあちらこちらにそれを分泌せずにはいられないものである。
これまでの木造建築や石造建築は、
歳月や疲労がしるしづけられると同時に成熟の気品や威厳を身につけるすべを知っていて、
不断に育ちつづけて数世紀、十数世紀を生きぬいてきた。
しかし、現代建築というものはこれまで私が諸国で見聞をしたかぎりでは、
歳月と添寝することができないのである。
デザインの流行が変わるから“時代遅れ”になってそうなるのではなく、
どうやら、もともとそんな体質や気質に生まれついていないのである。
らしいのである。
どの傑作もちょっと歳月がたつとたちまち醜怪、卑小な不具者となってしまう。
ある年齢で成熟がとまってしまった美青年みたいなところがある。
美貌を保つためには自殺するしかない、
ある種の早熟な不具の美少女みたいなところがある。
一つとして例外なくそうであったといいたくなるほどである。
ニーマイヤーの傑作群は年齢を知らずにここまでおかれたけれど、
いずれ遅かれ早かれ年齢を知りだしたとき、心ある人の眼から見れば、
いたましい不具者としか映らないようなものとなってしまうのではあるまいか。
過去をなくして生みおとされ、未来を知るすべを知らず、
ただ現在にありつづける―いつまでかは誰にもわからないけれど―
壮大、純潔だけれどついにはそういう存在でしかないのではないか。
人びとにできることといえば、
せいぜい毎日、精魂をこめて磨いてやることぐらいではないだろうか。・・・
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