マキノの山裾に広がる雑木林と海津は、マキや炭というエネルギーを、長浜・彦根(大津・京都?)に「輸出」してた。石炭石油に取って代わられるまで、マキノは近江や京都?の「サウジアラビア」やったんやろうなー。そんな痕跡が雑木林にも海津の町にも残ってる。場を見ながらそういうものの見方をする、っていうことを以前この講座で私も学ばせて頂きました。そんなこと、伝えたかったのですが、どうやったかなー、と思う。
マキを船に積む様子(海津の古写真)
地引網の様子だが、「海津の石積み」の上には、シバの山が
昭和初期の海津の風景
里に近い山の地肌が見えそうな山肌。燃料用の林として維持管理されていた?、これなら動物もそうそう人里には近づけない。第一食料もあまりない?手前に大きな帆柱を持つ船。帆船の貨物船が現役だった様子もわかる。
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