上のヤマオヤジのある雑木林と、下の根曲がりばっかりの杉の造林とどちらの方が、ヒトの叡智が積み重ねられているだろう。明らかに、雑木林の方。でも、どちらが新しいかというと杉林。いい加減な国?の林業施策の結果だ。人間って、ちっとも賢くなってないなー、と思う。
以前、朽木の老齢の林業者さんがクヌギなどの雑木を「かなぎ」と呼んでいた不思議に思えた。当時私は建築用材になる杉桧の方が「金木」なんじゃないか、何故雑木が「金木」なんだろうと?しかし、高島市内特に安曇川とかでガスや石油商を営んでおられる会社はかって朽木地区のマキや炭を大量に扱われていたらしい。そうすると、ひと昔以前は、雑木林の方が現金収入になったのではないだろうか?それも、萌芽更新で10〜15年毎に再生産される木の畑、それが高島の山の姿だっただろう。そしてそれが京都近江のエネルギー源を担っていた?
地区内で生産循環していたエネルギーを、今や世界の反対側から輸入している、そして今の生活を維持している。今後もうまいこと続くんやろか。
そういう雑木林が、今、放擲されたり、荒れ果てた別荘分譲地となったり、杉林になったりしている。人が入らなくなったそんな場所は、動物が跋扈し、人里へも侵入してくる。
植林した杉林はというと、林業機械が入りうな所はまだ、間伐や枝打ちが行われているが、写真のような山の中腹だと、植えたなりほったらかし。建築用材にはとてもなりそうにないし、また、ここからどうやって用材として搬出できるのだろう、まともに物事考えたんやろか?というようなところがいっぱいある。
・杉桧素材生産林業という危ういビジネスモデル
・放擲された山の上の杉林の後始末
・獣害
・細分化された別荘地の土地所有権の不明化
・荒れた雑木林
・雑木林を皆伐してのソーラーパネル問題 etc.
いにしえから続け江戸期には多分完成し、昭和30年くらいまで続いていた、高島の山との安定した付き合い方を放擲した代償は大きい。ただ、以前のようには戻れない。今後、どうやって山と付き合っていくんだろう。何もかもが悩ましい。
そうそう、ヤマオヤジを通じて、東京の武蔵野の雑木林も、明治の文豪の題材としてしか知らなかったのだが、実は江戸のエネルギーを支えていた薪炭作り用の木の畑だったんだろうな、と思い、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・」という生活が遠い昔たらほんの50年前までは、続けられていたんちゃうかなー、とも思う。
関連MYブログ
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