1891年生まれの建築家、村野藤吾は、40〜50代の油の乗り切った20年間に、戦争と戦後という時期が重なり、これという作品をほとんど作ることが出来ませんでした。ようやく1953年になって設計した広島の世界平和記念聖堂が62歳の時、芸能人の結婚式などでよく使われる新高輪プリンスホテルの宴会場は彼の91歳の作品です。
ちょっと横道にそれるかもしれませんが、ある労働組合の委員長を経験した人の話も一つ。彼が卒業した時代は、石油化学工業が発展する花盛りのころ。大学で成績の良いやつは、みんなそんな大会社に就職した。入れる所をに入った中堅の会社で(といっても東大卒)で二十年くらい、何故か祭り上げられて労働組合の委員長に。その会社は、時代の波に乗ったのか業績がよかった。そんな時ふと、ニュースでチッソ水俣病を見た。大学当時成績優秀だった先輩方が、役員となっていた。そこでは、何度も平身低頭する彼らの姿が映し出されていた。人生の運不運というものは、本当にわからない。と、語っておられました。
大臣や事務次官や社長になってから、多分本人の人生の目標の頂点でもあっただろう職に付いたことが、大きな不幸の発端となっている人もたくさんいます。
人生は、何があるかわかりません。ただ、老齢になって花の咲く人は、それまでに多くの蓄積があってのことです。いくつかの挫折は、それをちゃんと正視することによって、とても大事な経験や知識の蓄積になるはずです。
っていうのを、60過ぎた自分に言い聞かせてます(笑) (MY過去ブログ転載)
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