情報交換がリアルタイムである必要がないこのブログ。過去の記事でもお気軽にコメント下さい

2018年04月12日

六十一歳と五十数日

伊能忠敬が江戸で天文学の勉強を始めたのが、豪農の庄屋の主人という人生を全うし、隠居の身(50歳)になってから。実際に北海道から測量をし始めたのは55歳からです。そして今、我々が彼を知っているのは、彼の55歳から亡くなる74歳までの十数年間の生き方の結果です。

1891年生まれの建築家、村野藤吾は、40〜50代の油の乗り切った20年間に、戦争と戦後という時期が重なり、これという作品をほとんど作ることが出来ませんでした。ようやく1953年になって設計した広島の世界平和記念聖堂が62歳の時、芸能人の結婚式などでよく使われる新高輪プリンスホテルの宴会場は彼の91歳の作品です。

ちょっと横道にそれるかもしれませんが、ある労働組合の委員長を経験した人の話も一つ。彼が卒業した時代は、石油化学工業が発展する花盛りのころ。大学で成績の良いやつは、みんなそんな大会社に就職した。入れる所をに入った中堅の会社で(といっても東大卒)で二十年くらい、何故か祭り上げられて労働組合の委員長に。その会社は、時代の波に乗ったのか業績がよかった。そんな時ふと、ニュースでチッソ水俣病を見た。大学当時成績優秀だった先輩方が、役員となっていた。そこでは、何度も平身低頭する彼らの姿が映し出されていた。人生の運不運というものは、本当にわからない。と、語っておられました。

大臣や事務次官や社長になってから、多分本人の人生の目標の頂点でもあっただろう職に付いたことが、大きな不幸の発端となっている人もたくさんいます。

人生は、何があるかわかりません。ただ、老齢になって花の咲く人は、それまでに多くの蓄積があってのことです。いくつかの挫折は、それをちゃんと正視することによって、とても大事な経験や知識の蓄積になるはずです。

っていうのを、60過ぎた自分に言い聞かせてます(笑) (MY過去ブログ転載)


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
にほんブログ村 お笑いブログ お笑い情報へ  MY facebook ページ  にほんブログ村 お笑いブログへ
滋賀県立大学・田の浦fanclUb滋賀サポートチームが関わる震災復興プロジェクトLINK
重要文化的景観 海津・西浜・知内の水辺景観 WEBSITE ●facebook
  Vipo ヴォーリズ今津郵便局の会 project WEBSITE ●facebook

==============以下は、私の仕事のコマーシャル==============
住宅・セカンドハウスは、随時ご案内(室内も)出来ます

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

posted by ほんだ at 20:24| 滋賀 | Comment(0) | 処世訓を垂れてみる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]