
色んな思いがよぎる。少なくとも新聞にこのような検証記事が出るほどに、
ニュース価値のある取り組みではあったんだろう。そして、短い間ではあったけれど
「高島のアンテナショップ」としての機能は、相当程度果たすことができたように思う。
以下は、完全に(商工会役員として、そして建物改装の設計に関わった)私個人の感想です。
その「成功」の源は、
◆発酵というテーマについては、以前に地元で「発酵サミット」などのイベントも開催し、もう数年来の蓄積があったということ
◆補助金があるのでやってみようという、開店約1年半前の議論で、その補助金のメニューの地元で作るか、都会に打って出るかという選択で、「都会に打って出よう」という選択をしたこと。
そして継続営業ができなかった「失敗」の理由は、
◆補助金交付が決まったのが、4月始め、そして年度内に半年の営業実績が必要という、無茶なタイムスケジュール。高額なテナント料であることから、補助金交付前から不動産の「仮押さえ」をすることができず、本当にたまたまいい場所が空いていたのであが、それが決まったのが4月末、(レストラン的なものに重きを置くか、ショップ的なものに重きを置くかという、事業コンセプトのあたりから始まった)二点三転した設計から工事をして開店にこぎつけるまで、5ヶ月。メニューも新規に作る、従業員さんも新規募集。ぼんやりとしたコンセプトは前年事業でこんな形とはまっていたが場所も決まってないので具体的なことは何一つ決まっていなかった。
◆元々が、たまたま空いていた店舗、その坪数に(テナント料)に見合う、事業を作れ出せなかった。1Fは利用できたが、2Fについてはそのテナント料に見合う収益事業を作り出すことが出来なかった。営業を始めてから試行錯誤はあったのだが。
◆「とりあえず広めることが第一」(失敗したらどうしようという不安もあったと思う)から、全体の価格設定が低めになってしまっていた。繁盛し出してから、もう少し上げても良かったかなー、ということでメニューを試行錯誤されたのだが、元の価格設定が安すぎて中々営業を継続出来る利益が上がる水準にまで改善することは出来なかったようだ。
◆高島の出店事業者に利益が出るように、アンテナショップとしての商品の利益率も少なかったようだ。また、高島市商工会の事業ということで、商品のアイテムを選別することが困難。逆に似たようなもので高島市以外の物品も揃えればいいのかなー、と思ってもそれはできない。
しかし、今回の「成功」は、企画から運営(高島のものを京都へ運ぶ路地スティックや繁忙時の人員補給等々)全ての面に渡り、商工会職員さんの一丸となった協力体制の賜物であったと思っている。逆にいえばその分のコストも通常の経営には加味されなければいけない。
でも、終わってホッとしている、というのが正直なところ。経営移管して、その移管先が元のコンセプトから外れた事業をされて、お客様から「こんなん違う、何でや」なんてことにでもなったら、それも大変、ということもあり得る。肩の荷が下りた感、責任は果たした感、が今はある。
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