彼とは同じゼミだった。二十の時「東京行こうな」と言い合って、彼は、本社東京の大手給排水施工会社をうかった。私は、東京の設計事務所を落ちた。結局、私は滋賀の小さな設計事務所に勤めることになり別れ別れになった。が、年賀状の交換はずっと続いた。
数年後、一度会った。彼は、東京の人になってた。二人の共通の話題の音楽の話をしたが、東京でいくつもライブ聴いてる様子に気おくれした。40ぐらいの時にも一度、東京で会った。何か、厭世気分を出すのがかっこいいと思ってるのかコイツという風に見えて、なんか合わんようになったなー、と思った。
でも、まじめに仕事をしてたんやろう、還暦の同窓会の時、彼が病床にあるのを知る。彼の年来の友人で電話番号を知ってるやつが彼に電話をした。そして、みんなで電話を回した。彼はアスベストにやられていた。「ちゃんと労災認定されてるし生活は保障されてるから・・・」っていうような言葉をケイタイ越しに聞いたのが最後になった。
何度か会ったが、彼は、仕事の話はほとんどしなかった。察するに、彼の職場の多くは巨大建築の血管となるパイプスペース。鉄骨のアスベスト含有耐火吹付材が露出してる場所での耐火素材である石綿二層管の加工取付けをするというような作業の現場監督ばっかし、だったのではなかったかと思う。
彼は私の結婚式には来てくれたが、私は彼の結婚式には呼ばれなかった。詳しいことは知らないが内縁関係時代がかなり長かったのではないかと思う。訃報に喪主 妻 △△〇〇、と彼の苗字が書かれていて、何かほっとした。
人の幸不幸は、どこで分かれるんやろう、と彼の十八・九の面影を思い出す。よれよれっぽいコッパンと、よれよれっぽいボタンダウンと、よれよれっぽいトレンチコートと、オールマンブラザーズバンドが好きだった。you tubeで、オールマンブラザーズバンドを聴いてみた。
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