一面トップが西武大津の閉鎖。当時すでに大御所だった菊竹清訓の設計。
1977岐阜の学校を卒業して、大津の設計事務所に最初に勤めた。だから、ピカピカの西武大津、知ってる。西武大津が「新建築」という建築設計を志すものならだれもが知っている専門誌にも載ってた。買い物にも、建築の勉強がてらにも何度も行った。当時何回かあったデパート火災を受けて、避難階段が異常にたくさん設置しなければならないようになったのを逆手に取った側面のデザイン、それまでは街中立地で駐車場のないのが百貨店だったのに、今の郊外型ショッピングセンターのプランの端緒となる、駐車場併設のプラン。2重らせん構造の自走式駐車場は、それゆえに走りにくかったけど、立体を構成するっていうのは、こういうことなんかなー、と考えさせられた。今はなくなってしまったが前に飛び出た2階建ての斜路の小店舗群の半地下にしゃれたショットバー?があった。2,3度一人で飲みに行って、開高健や山口瞳のようにカッコよく酒なんて飲めんわ、と思った。書店の階の床が多分その重さゆえにふわふわしていて、コンクリートスラブも撓むんやなー、と実感した。各階に設けられたスチールメッシュにツタが絡まり、緑の斜面になる構想だったのに、いつまでたってもそうはならず、植物の扱いは中々むつかしいなー、と思った。各階に外気を感じられるテラスは、最初のうちは何とか利用しようと試みたみたいだが、「建築家」の夢想は実らす結局無用の長物になった。最初の頃の企画展も何度も行った、「百貨店」が文化発信するんやなー、と実感した。
一番驚いたのが、膳所駅からの通りが、住宅街だったのに、みるみる商店街(ときめき坂)になっていったこと。町って、一つのことでこういう風に変わっていくんやなー、と実感した。西武大津という大寺院?のなくなった参道の門前町(ときめき坂)は、これからどう変わっていくのだろう?
ハード的には、現在あまねく立ってる郊外型ショッピングセンターの原点であり、ソフト的には文化や高級品を売る「百貨店という商売」の終わりの始まりやったんかなー。建築を志した頃、頑張ってたけどそんなに楽しくはなかった時代のちょっとした憩いの建物がなくなる。
★MYブログ 10/12 1979当時の西武大津
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