写真は、祖母が多分嫁入りの時に「在原善四郎家」から譲り受けた猫の額ほどの畑のあたり。今はその土地も含めた一帯がススキ原になってしまってる。その我が家の本家筋にあたる「善四郎家」の方は代が絶えて今はない。
里に近い山の杉木立のあるあたり、これは一応森林組合さんとの林業の委託契約がなされてる、カメラが手から滑り落ち面白い写真になったので。
久しぶりに祖母の親元の在原に行き、親戚にご挨拶、ちょっと話を聞く。
「シイタケのホダ木にする雑木も、昔は(直径10cmくらいの輪っか手でをつくり)これくらいのが、ひこばえしてたのを切ってたんやが、最近はひこばえの根元が一抱え(直径25pくらい)にもなってそうそう簡単に倒せへん。で、少し上の枝になったぁる部分を落として使うようにするんやが」というと嫁さんの方が「もうそんな高いとこ登ったらあかん、落ちて怪我したら笑われる」とチャチャが入り「そうや、もうあんまり無理せんとボチボチやれるだけにするわ。」いつまでも、仲の良いご夫婦である。
「山の境でも、昔は境木や石やゆうてたけど、もうわからへん。昔は境を見通して、刈りすぎると怒られたんや。刈った柴が、燃料として価値のある大事なモンやったわしらの父親以前の人らの感覚やなー」
「そうそう、棚田の畔でも、七三なんや。上の七分は上の田が草を刈り、下の三分を下の田が草を刈る。嫁入りしたてのころ、きれいに上まで刈って叱られたわ。そんな草も、牛にやる餌として大事やったんや。山や田んぼにあるもん全部使こて暮らしてた。朝から晩まで外で仕事してた、こんな時間にこたつの中でじっとしてるなんてことなかったわ。やっぱ、油(燃料としての)入ってくるようになって変わったなー。あんたもススキ原になってるって気に病むことあらへん。もうみんなそうや、ほったらかしや」
お土産に、立派な肉厚のシイタケをもらって帰ってきた。
改めて「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に・・・」ってごく最近までそこにあった暮らし方なんやなー、と思うと同時に、この山里はどうなるんやろう、とも思う。
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