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2021年03月06日

私の住んでる「高島」という地名について

 それ程高い山もなく、島でもないのに、何で「高島」なんやと思う。市のWebsiteによると、701年、大宝律令で全国的に「行政区?」が定まった時からすでに「近江国高島郡(たかしまごおり)」だった、とのこと。
 Weblio 辞書 > 社会 > > 町 > 高島によると、日本には無人島などの名前で「高島」という島が30近くあるらしい。最も有名なのは長崎県の高島。石炭採掘で日本遺産にもなってる端島(軍艦島)のお隣にある少し端島より大きい元炭鉱の島。その辺のいくつかの島の住所が「長崎市高島町」とのこと、でも、こういう島の名前と「高島市」の名前の由来とはあまり関係なさそう。
 また、地名としての高島は、北は小樽市から南は島原市まで、20くらいあるらしい。。東京には高島平っていう巨大団地があるなー、そういうと。こういうのって「高島」姓の人からの関係からちゃうかなー。で、これも、あまり高島の地名の由来とは関係なさそう。
 と色々探してたら神話の中に、神武天皇が立ち寄った先に「吉備高島宮」っていうのがあった。現在の岡山市の南の児島半島が当時は島になってて、そこにあったらしい。とりあえず、この故事から、神武東征のおり、吉備高島宮で、加勢した水運に長けた一族が、後に、古来は朝鮮半島から小浜・敦賀から一山超えてびわ湖に入る交通の要衝を固める意味で、高島を治めるためにこの地に入り、故郷の地名の高島を、この地に名付けた、ということにしておこう。そういうと、安曇川も「安曇族」との関連もありそうだし、マキノには古代の製鉄跡のあるし、むかし高島は、渡来人系の人も含め、色んな人が入ってきた土地柄なんかなー、と思う。そして、神武天皇以来の関係が代々存続していたとしたら、継体天皇の父の彦主人王が高島にいた、っていうのもうなづける気がする。

陵墓探訪記>吉備高島宮

古代日本国成立の物語>第四の寄港地「吉備の高島宮」

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posted by ほんだ at 07:29| 滋賀 ☁| Comment(0) | 歴史に興味が | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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