一番最初の谷川俊太郎さんとの出会いは、調べてみたら1975、新建築の8月号。18,高専の4年の時、新建築の住宅特集で傾斜した地面の大広間がある写真を見たときになる。篠原一男という建築家が建てた別荘で当時は「軽井沢の住宅」というクレジットだったように記憶している。建築を本格的に勉強し始めた頃で「コンナンも建築なんやなー。」と自分の建築という概念がまた一つ壊された感じがしたのを覚えている。それが、谷川俊太郎さんの軽井沢の別荘であることを知ったのは、いつだったか記憶が定かでない。ただ、建築の鬼才と、詩人という鬼才がタッグを組むと、こんな建物が出来るんやなー、と、妙に腑に落ちた感じがした。ネットで、この広間が、8帖6つの48帖大の大きな部屋であったことは、50年近くたって初めて気づいた。
★TOTO通信>(元)谷川さんの住宅
★R100tokyo>遠山正道×鈴木芳雄 連載「今日もアートの話をしよう」vol.26 北軽井沢「谷川さんの住宅」
二度目の谷川俊太郎さんとの記憶は、子どもの教科書だ。「いるかいるか いないかいるか いるいるいるか・・・・」っていう言葉遊びのような詩が教科書に載ってるのを見付けた時だ。それまでにも谷川俊太郎さんのこと知ってた気がする。その時の感想は、面白いもんが教科書に載るようになったんやなー、という感じ。それは、子どもの教科書に赤い鳥の「翼を下さい」を見付けた時と似たような印象でもあった。雑誌やメディアで、同時代的に受容してた音楽や文学が、年が経ると教科書に載ってしまうんやなー、と。
★アートブレス>ポートフォリオ>世永 佳子イラストレーター
特に詩に興味があるわけでもないので、谷川俊太郎さんの本は持っていなかった。ViWaびわという宿屋を始めて、絵本も何冊か置いた方がええなー、と思うようになった。そんな時期、京都で「和田誠回顧展」があり、そこに、和田誠と谷川俊太郎のコラボの絵本があったのでそれを買った。それが三度目の邂逅ということか。
そン中の一冊、「いろはうた」は、子どもの絵本やなかった。極端に少ない文字数で韻を踏みながらも、谷川俊太郎さん、刺激的やなー、と、改めて驚かされた。
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