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2008年04月07日

今の県の河川政策は、私の亡父が作った?

なんてことは、全然ないのですが、とても嬉しい話を昨日うかがいました。
昨日、嘉田知事を囲む会に出席することが出来ました。

その場で、出席者一人づつ発言が出来ましたので、
私は亡父の話を少しさせて頂きました。
私の父は、現滋賀県知事の嘉田氏が琵琶湖研究所に勤められている時、
氏は、水と環境のフィールドワークの場所として
たまたま「知内」という集落の研究をされ、
たまたま、その当時、集落の区長を父がしていました。
父はその後、
氏が琵琶湖研究所などの要職に着かれ新聞などで名前を見かけたり、
酒を飲んだりした時には、喜んでその当時の邂逅を皆にしゃべっていました。
別嬪さんやけど、男ばかりの酒の席の付き合いも楽しそうに平然とする
肝っ玉の据わった面白い人やった、
などと。
そんなことなどを少ししゃべると、
知事からこんな話を伺うことが出来ました。

フィールドワークで近所の民宿で泊まっているある晩に豪雨。
その時父は、その民宿を訪ねたそうです。
大丈夫かと言ってすぐ飛び出していこうとする父に、
この雨の中、どうするのかと聞くと、父は
「今日は、寝ずの番や。」といって堤防の見張りに行ったとのことです。
この「自分の地域は自分が守る」という心意気に打たれ、そのことが、
今の県の河川の基本政策の発想の原点の一つになっている、と。

当時から山のようにたくさんの問題意識を持たれていた氏で
あったればこその事だとは思いますが、
その、父への過分なはなむけのようなお話に、元気だった時の姿が思い出され、
私は少し目頭が熱くなってしまいました。

今、インターネットの県TOPページを見ると、
河川の治水に対する考え方というタグがあり、
それを開くと、確かに
「住民と行政が協働する流域治水対策の「滋賀モデル」づくりを
という項の文章には、下記のような言葉が確かに綴られています。

過去の流域住民における伝統的な「自助」「共助」の仕組みを改めて見直し、そこに現代の若者が「河川レンジャー」(川守り)のような形で参画をし、行政と住民の協働による「水害に強い地域社会づくり」を柱に未来の仕組みを創造することこそ、今の河川行政に求められている課題と言えます。行政がもつ広域的で科学的な情報と、住民がもつ属地的で経験的な情報を組み合わせ、社会で広く情報を共有し、討議のプロセスを公開しながら、県民参加・協働の「滋賀モデル」といえるような河川政策に努めてまいります。


明日は、そのページのダウンロードしたものを仏壇に供え、
今年七回忌を迎える父への供養にしたいと思います。

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