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2023年10月09日

日本の「くに」

ココ数年youtubeで、種々雑多な日本の古代史をみる。学術的?なのから、トンデモ論?まで。

 で、「くに」は、魏志倭人伝の時代でさえ「もと百余国に分かれ」ていたらしい。という事は、当時すでに、日本の旧国(近江とか山城とか越前とかそういうので68ヵ国)にわりと似た形で「くに」が出来てたっちゅうことチャウかなー、と。旧国 ≒ 藩のTOPは、「守(かみ)」という。それって、ヤマト王権成立以前に、もうそれぞれに旧国単位くらいの大きさで「くに」が成立してて、その統治者を「かみ(神)」と呼んでた頃からの自然な流れチャウかなー。それは、現在でも自分のふるさとの事を「くに」と呼んだり、方言の事を「お国ことば」というところに、連綿と繋がってるんチャウかなー、と。

 そして、弥生後期から古墳時代、それらの神々(統治者)達は、ヨーロッパ中世のハプスブルグ家やブルボン家のように、婚姻関係で結ばれてたり敵対したりしてた。その、迷宮のような関係を、都合よく取捨選択してツギハギしたのが、古事記や日本書紀の神々から天皇家へつながる系譜なんチャウかなー、と。つまり、規模は小さいが「くに」の関係性からいうと、日本は、ヨーロッパの中世ような混沌?の時代を古墳時代に既に経験して「ヨーロッパ国?」単位の「日本国」が今出来てる、チュウことチャウんかなー、と。

 「当たり前やん、昔からそうやと思てる」って言われるかもしれんけど。

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2021年03月06日

私の住んでる「高島」という地名について

 それ程高い山もなく、島でもないのに、何で「高島」なんやと思う。市のWebsiteによると、701年、大宝律令で全国的に「行政区?」が定まった時からすでに「近江国高島郡(たかしまごおり)」だった、とのこと。
 Weblio 辞書 > 社会 > > 町 > 高島によると、日本には無人島などの名前で「高島」という島が30近くあるらしい。最も有名なのは長崎県の高島。石炭採掘で日本遺産にもなってる端島(軍艦島)のお隣にある少し端島より大きい元炭鉱の島。その辺のいくつかの島の住所が「長崎市高島町」とのこと、でも、こういう島の名前と「高島市」の名前の由来とはあまり関係なさそう。
 また、地名としての高島は、北は小樽市から南は島原市まで、20くらいあるらしい。。東京には高島平っていう巨大団地があるなー、そういうと。こういうのって「高島」姓の人からの関係からちゃうかなー。で、これも、あまり高島の地名の由来とは関係なさそう。
 と色々探してたら神話の中に、神武天皇が立ち寄った先に「吉備高島宮」っていうのがあった。現在の岡山市の南の児島半島が当時は島になってて、そこにあったらしい。とりあえず、この故事から、神武東征のおり、吉備高島宮で、加勢した水運に長けた一族が、後に、古来は朝鮮半島から小浜・敦賀から一山超えてびわ湖に入る交通の要衝を固める意味で、高島を治めるためにこの地に入り、故郷の地名の高島を、この地に名付けた、ということにしておこう。そういうと、安曇川も「安曇族」との関連もありそうだし、マキノには古代の製鉄跡のあるし、むかし高島は、渡来人系の人も含め、色んな人が入ってきた土地柄なんかなー、と思う。そして、神武天皇以来の関係が代々存続していたとしたら、継体天皇の父の彦主人王が高島にいた、っていうのもうなづける気がする。

陵墓探訪記>吉備高島宮

古代日本国成立の物語>第四の寄港地「吉備の高島宮」

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2021年03月01日

明治維新◆WIKIとExcelで遊んでみる

明治維新1.pdf

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2021年02月26日

日本の「くに」って、かなり昔からあったんやなー、と。

 近年の放射性炭素年代測定の弥生土器付着の炭化米(土器で煮炊きしたオコゲ)の測定結果から、弥生時代(水田稲作耕作)は紀元前10世紀まで遡る、とのこと。魏志倭人伝によると、邪馬台国の時代には、日本には百ヶ国ほどの「国」があった、とのこと。そして、奈良時代の各国風土記の数は、現在の東北地方以外の50か国に上る。
 っていうことは、少なくとも三千年前から集落がつくられ始め、1800年前、魏志倭人伝編者がわかる範囲で、旧国割りをさらに2,3に分割した平野や島ごとに北陸・関東以南は、それぞれに人が住み統治組織を伴う「国」が出来ていた。そして、奈良時代(1300年前)にはそれが既に、旧国割り程度の「国」に統合されてた、っていうことなんやろうなー。
 そして、古墳・飛鳥・奈良時代を経て、各地の元の「国主」は、それぞれに神社にお祭りされ、別の統治組織が形成される。しかし、下々は、お上(統治者)が変わっても「旧国」の国の範囲を「くに」と呼び、元々は「神」やったのが「守」に変わっても「かみ」であることには、変わりない。

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2019年08月30日

今、塩津港遺跡(びわ湖北端部の湖底遺跡)が熱い?

「一度は見に行っとかな。」と思ってた安土城考古博物館の企画展が終わりそう。9月16日まで。

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埋蔵文化財センター(大津市)でも別の企画展やってるらしい。

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日曜日ハシゴしようかなー、と思ったら別の予定あったわ。

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2019年08月23日

耕地の広さ(私の日本の古代史観05end)

九州北部と近畿中部地方のグールマップの平野部分に約10km四方くらいで升目を引いてみました。
こうやって見ると「金印」の頃の北部九州が、いくつかの「クニ」に分かれていたというのが地勢状「なるほどな」と思われる感じもします。
また、奈良や京都の盆地が意外と小さいことがわかります。
後期弥生時代から古墳時代にかけての「国力」が、農地の面積に比例すると考えると、奈良盆地にあった政権が大阪平野と近江を開拓?併合?して大きくなって、それでやっと、北部九州(福岡・佐賀・熊本)の平野部分の面積に比肩するくらいの大きさです。
それに比べると、濃尾平野の広さは一体でかつ広い。生産性高そうな耕地の広がりを持つ濃尾平野が、北部九州や近畿に比べて日本の黎明期の主役の役どころがないのは何でだろう、と思いました。濃尾平野は一宮以南が海でそんなに広くないとのご指摘も頂きましたが。

◎いくばくかの本や映像情報の浅学な知識、それに神社仏閣巡りなどが私の中で混ざり合ったもので、孫引きみたいなのも混ざってます。というか、その方が多い。お盆のお休みの間に今までモヤモヤしてた考えをまとめて文章にしてみました。

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2019年08月22日

寺より古い神社はないらしい(私の日本の古代史観04)

神道という宗教?は、それこそ神代の昔から続くと思われるのだが、神社建築というのは、お寺の建築より古いものはないらしい。というのは、仏教と仏教建築が入ってきて、偶像(仏像)を拝むお堂というシステムを、「これは神道にも使える」と気付いて、神社建築というものが始まったらしい。それまで日本の神道は、山や石や木などをご神体としてそれを拝むというもので、建築物としてお社はなかったらしい。
しかし、鳥居という結界を意味するゲートの形は、いつ頃作られたのだろう。

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2019年08月21日

やっぱり邪馬台国は九州?(私の日本の古代史観03)

やっぱり邪馬台国は九州にあったんじゃないだろうか。近畿説はあまりにも距離と方角を恣意的に解釈しすぎてると思う。

九州に先祖を持つ奈良天皇政権が、大阪平野・瀬戸内へと勢力を伸ばし、親元である邪馬台国等の九州の「クニ」を従えていった、ということではないのだろうか。先祖を一にする者同士の争いは、古事記とかに記すには中々むつかしかった。だから、古事記に邪馬台国の記述はない。ただ、天照大神と、卑弥呼→ヒミコ→日御子など、邪馬台国の記述と古事記の日本創世の記述がダブってるように見えるのは、結局、元々は両方ともが九州出自だからなのではないのかなー。という気がする。

ヤマトは「山戸」という一般名詞ナンちゃうかなーと、思ったりする。朝鮮海峡から見ると福岡県境の山並みの衝立(戸)の向こうの佐賀平野、瀬戸内から見ると、生駒山地の衝立(戸)の向こうの奈良盆地、みたいな感じの地形を表すんちゃうかなーと。奈良の政権がその一般名詞の韻に、日本統一の意味の「大倭」→「大和」という漢字を当てた。単なる空想です。

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2019年08月20日

三種の神器は、日本国の統合の象徴?(私の日本の古代史観02)

三種の神器というのは、日本の国の統合の象徴そのものなのではないか。
日本は最終的には、九州勢力・出雲(日本海沿岸)勢力・奈良(近畿)勢力・そして中部(関東も含む?)勢力の四つになった。そして、最後に現在の天皇家に続く奈良勢力が日本を統一した。出雲勢力は臣従の証に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を差し出し、天皇は出雲大社の造営を許した。中部勢力は、臣従の証に天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ 草薙剣ともいわれる)を差し出し、天皇は熱田神宮の造営を許した。そして、同族の争いとなった、九州との戦いでは、最終的な和睦が成立せず、九州の父祖系統にあたる統治者を壊滅させ、八咫鏡(やたのかがみ)を奪い取った。そのために、九州には大きな由緒ある神社がなく、また、生臭すぎることなので、邪馬台国を含めて記紀にはあまり記述されないのではないか。出雲・中部・瀬戸内海沿岸辺りは、旧支配階級を残し配下に収める形で、九州は直轄領のような形で、最初の日本の統一の天皇政権が出来上がったのではないだろうか?

都のある奈良盆地には、天皇と宮城という「イマ」の神とそれをお祀りする施設があったので、それ以外の大きな「神社」は、逆に排除された気がする。時代は下るが伊勢神宮も、奈良盆地にはない。

ワカタケルのミコト(獲加多支鹵大王)雄略天皇(21代)の銘文のある鉄剣が、熊本と埼玉で出土している。埼玉の鉄剣には「辛亥年七月」AC471と、年号が記載されている。ということで、5世紀後半には、今の天皇家に続く日本の統治者が、九州から関東までの一帯を統治していたことが、考古学的にもほぼ証明されている。初代の神武がBC100〜AC0あたりだとすると、それを21代で割ると、平均の在位期間が22〜27年、おおむね親から子へと地位が継承されていると考えると常識的な数字、古事記の歴代天皇がまるで空想の産物である、という決めつけもいかがなものかと思う。

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2019年08月19日

神武東征はあった(私の日本の古代史観01)

(BC1〜AC2)神武東征はあったと思う。但しそれは、九州の王家が西日本に勢力を広げるという形のものではなく、弥生の九州の鉄器文化の発達による水田築造・河川の整備などの、優れた農業土木事業の技術者集団の移動、というようなものではなかったか?古事記の神武東征では、九州瀬戸内の数か所で寄り道して大阪湾に至ると記述されてるが大阪までは戦争の記述はない(らしい)。大阪湾に至るまでは、その技術集団の技術移転が歓迎され、そこそこの事業が完成すると新天地を求めて西へ向かった。しかし、大阪・大和平野には、すでに「クニ」らしきものが形成されていて、それまで通りにはいかなかった。ということではないか。そして、神武東征によって、農業生産は効率的になり、鉄器耕作文化圏が、九州から近畿(濃尾平野まで含む?)へ広がった。しかし、「クニ」はそれぞれの地域に部族国家が点在するという状況だったのではないだろうか。

★BC1神武東征説 河内潟の変遷とその一時期が神武東征の大阪敗退の地理的記述が符合する件。
 長浜浩明著・日本の誕生その本の読後ブログ

ただ、熊野から奈良盆地への侵入というのがどうしても解せない。それならと、もう一回りして三重県あたりの「クニ」と共同して、奈良盆地にあった「クニ」の統治者を倒し、新たな「クニ」を打ち立てたのではないのだろうか。それが、神武は太陽に向かって戦ったためと失敗したと考え、反対に東側から戦ったという古事記の逸話になっているのではないのだろうか。そしてその「記憶」の論功行賞が、伊勢神宮なのではないだろうか。
その後、九州から来た技術者集団(神武)が、近隣の部族と婚姻などの縁戚関係を構築しながら、明日香のあたりに「クニ」の基盤を整えていったのではないだろうか。
そして、農業の余剰生産が増えてくると、だんだんと各地で「クニ」がそれぞれに大きくなっていったのだろうと思う。

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2019年06月23日

島でもないのに何で高島なんやろう?

以前から、島でもないのに何で高島なんやろう?と不思議に思てた。郡(コオリ)という行政区ができた奈良時代には既にあったものらしい。TVをぼんやり見ていてふと、ひらめいた。ヤクザ用語で「シマ」ってあるやん。この言葉って昔からの日本語の意味を引き継いでいて、高島は「たか」さんの「シマ」、古代にこの地域を支配していた「たか」氏という豪族のテリトリー、というのが地名の由来。私はこう決めて、以後この事に悩まへんことにする。

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2018年12月01日

県内の伝統行事を撮影する写真家 辻村耕司さん

知ってる人が大きく新聞に取り上げられてるのは何だかうれしい。

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2018年10月17日

宮内庁と堺市が、「仁徳天皇陵」初の共同発掘 とのこと

そんな遠慮せんと、三カ所というなら赤矢印のあたりをお願いすればええのに。
でも、こんな明らかな古墳、すでに盗掘されてるんやろなー。

墓あばき 卑弥呼と古事記 つながるか

マー無理でしょうが、っていうかこの新聞記事からするとそんなことは考えてなさそう。
しかし、仁徳天皇陵→大仙古墳(大仙陵古墳)→大山古墳 はなぜ?

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2018年10月01日

東京オリンピックを2ヶ月後に控えた頃の新聞 (古新聞05)

(昭和39年7月20日)◆施設整備に当時もすったもんだあったみたい。

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◆王・長島・村山が活躍してた。リーグ勝敗表や打撃成績表のスタイルが、妙に懐かしい。

家にあった古新聞05。意図的に残したものなのか、
タンスの引出しの敷物にしたのがたまたま残ったのかは定かでない。

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2018年09月28日

78年前の昨日 日独伊三国同盟が締結 (古新聞04)

78年前の今日の新聞
その前日(昭和15年9月27日)日独伊三国同盟が締結された記事で一面全面が埋められている。
お祝いムード満載。

400928news1.jpg


記事クローズアップ
お祝いムード満載の記事の中、解説文の最後は「遂にルビコンを渡った」という言葉で締めくくられている。この記者さんは、「賽は投げられた」と言ってカエサルの渡った先がクーデターの「成功」のみであったことだけを示唆して執筆していたのだろうか?

家にあった古新聞04。意図的に残したものなのか、
タンスの引出しの敷物にしたのがたまたま残ったのかは定かでない。
この新聞記事を見つけて、こういうブログ記事を始めようと思い立った。

400928news2.jpg


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2018年09月27日

昭和9年 新聞に琵琶湖のスキー船のグラビア写真(古新聞03)

昭和9年2月5日 左上に満州新皇帝となる予定の溥儀夫妻、そして右下に、マキノスキー場へ向かうスキー船の写真。後は梅と信州小諸の氷壁。

昭和5年に開かれたマキノスキー場。京都や大阪から京阪電車と琵琶湖を縦断する船を乗り継いでマキノでスキーというのが、当時は「おしゃれな大人の小旅行」みたいな形で宣伝されていたらしいことがうかがえる。

満州国建国。溥儀さんは、軍閥が跋扈する清を放棄して、日本軍によって治安維持が約束される(と思われた)故郷(清の出自の地)で再出発することを、ある種 正義であり、個人的にも好意的に受け止めていたらしい。

家にあった古新聞03。意図的に残したものなのか、
タンスの引出しの敷物にしたのがたまたま残ったのかは定かでない。
グラビアセクション、っていうのは数枚あったので、残したものなのだろう。

340209news1.jpg


クローズアップ
キャプション―琵琶湖のスキー船 牧野スキー場ゆきの婦人スキーヤーものせて大津から海津へ

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2018年09月25日

昭和7年の新聞広告(古新聞02)

家にあった古新聞02。
意図的に残したものなのか、タンスの引出しの敷物にしたのがたまたま残ったのかは定かでない。

広告かもしれないが、一番古い日付のがこれだった。昭和7年6月1日

「雑音皆無」の蓄音機だとか「生きた馬のように走る自動木馬」だとか、
今なら景品表示法に引っかかりそうなのがいっぱい並んでるのも微笑ましい。

5.15事件・満州国建国・チャップリン来日、などがあった年だそうである。

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2018年09月23日

戦後初の衆議院選挙公報(古新聞01)

家にあった古新聞01。
意図的に残したものなのか、タンスの引出しの敷物にしたのがたまたま残ったのかは定かでない。

戦後初の、そして大日本国帝国憲法下での最後の衆議院選挙公報らしい。
この選挙で当選した人達が、今の日本国憲法制定に関わったことになる。
選挙権者の年齢を25歳から20歳に引き下げ、女性参政権を認めた改正選挙法のもとで、行われ、
投票率は男性79%、女性67%に達し、高い関心を集め39人の女性代議士が誕生した、とのこと。

選挙の概要は以下の通り
WIKI−第22回衆議院議員総選挙

こんなんもデジタルアーカイブ化されてるんやなー、と。
衆議院議員総選挙一覧第22回 - 国立国会図書館デジタルコレクション


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2018年03月14日

びわ湖北端 50軒程の小さな集落である菅浦の「菅浦文書」が国宝に

数日前の京都新聞の一面。
「村落文書としては初の国宝指定」っていうのがいかにも滋賀(近江)らしい。
滋賀県は全国で4位の重要文化財の存する県なのだが、
それらが、路傍の石造物が鎌倉時代のものであったり、
集落の小さな祠や、田舎の小さなお寺の仏さんが室町であったり、
脈々と続き継承してきた民の歴史が存する県なのだ。

天井川だってそうだ。まさか、川の土手が自然に高くなる訳もない。
天井川、氾濫した川の真ん中に川道を作り、掘った土砂を両脇に積んで土手(堤防)にする。
古から脈々と繰り返された農業土木事業の結果が今の形になっているのだろう。
広々と広がる田園風景だって、元々からこんな水平だったわけがない。
うねうねと曲がる川と湿地帯をいつからか開墾した人の作った景色なのだろうと思う。

滋賀県(近江平野)は、昔からずっと人がいたんやなー、という感じ。
でもこういうのって「観光」には結び付きにくい。

関連MYブログ

◆16/10/02 巾20cmの道を歩かないとたどり着けない滋賀の重要文化財
◆10/10/21 マキノ町知内という集落の歴史
◆16/11/12 天井川から、農耕の黎明を探る

ちなみに重要文化財数のTOPは東京(これは全国から中央の博物館や大学(明治大正昭和に財を成した人達が集めたものを展示する私立美術館なども含む)がかっさらっていったから)次が京都でその次が奈良。

180310sugaura.jpg



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2018年01月03日

寝正月を決め込んで、日本の3-5世紀を夢想する

ぼんやりと元日を過ごす。

倭国→わ国→我が国(私わし我、日本語で「わ」って自分)
異人の質問に「我が国」って答えたのが「倭国」になった。

卑弥呼→ひみこ→日御子→天照大神(伊勢神宮内宮)
台与→とよ→豊→豊受大御神(伊勢神宮外宮)

邪馬台国→やまたいこく→やまと?→山戸・山門?→河内・瀬戸内海から見ると生駒山地が「山門」になってる奈良盆地??ということは、奈良盆地をヤマトと称すのは外側からの呼称?

女王卑弥呼の伝承が残って、伊勢に祀られることになった。何で伊勢なんやろう。

神武東征の時、河内で一度敗戦、その後、熊野から上陸して奈良盆地を制圧したみたいなあらすじだった。

実は、西方(北部九州?)の勢力が濃尾平野あたりの勢力(熱田神宮の祭神が日本中を暴れまわったヤマトタケルっていうのもなんか示唆的?)と結託して、河内+奈良の勢力を、はさみ撃ちにして制圧して、日本の天皇家の源流のヤマト朝廷ができた。その当時稲荷山古墳出土鉄剣(埼玉・5世紀)が示すように、少なくとも南関東あたりまでは、文化圏の優劣なく豪族が「クニ」を形成し戦国時代と同じような合従連衡がもうすでに可能だった。ただ、ある豪族はその地で安穏に、ある豪族は勢力拡大を、様々なスタンスがあったと思う。

そして神武東征という最大の制圧劇には最大の神社が必要、そして、領地は飛ばされる。だから伊勢に大きなお宮さん。
古い大きな神社は、滅ぼされた(恭順した?)地方領主を祀り、その地域を慰撫するために建てられたらしい。そして、特徴的な建築形式の建物ほど、そこには古くからの強い伝統と勢力を持っていたことになる。出雲・吉備・住吉は、そんな地域。普通は旧領地の中心地に祀られたが、都を据えるその地に旧領主を祀ることはできないので、旧ヤマトだけは神さん毎、同盟国だった(濃尾平野?)の領主の管理する端の方の伊勢に転封された。

征服する側は、現世の都を作ればいい、だから神社はいらない。広島以西には、あまり古い由緒ある有名な神社はない。っていうことは、やっぱり北部九州の勢力が瀬戸内(吉備)山陰(出雲)を併合しながら、最終的に奈良に都を築いた。それは、魏志のいう邪馬台国とは、直系ではない(神話上は直系にしている)。
そして、征服した豪族を全て神とし、無理やり一つのストーリーに仕立て上げたのが古事記なんちゃうかなー、と思う。作った時は、当時の範囲の日本中の人々に、「な、あんたんとこの神さん(元領主)もちゃんとここに入れといたからな」、みんな一つの「日本」なんやで、みたいな意味があった。

日本の代表的な神社の形式は、一間社流造、その源流は京都の下鴨神社。
っていうことは、日本の統治原理が全国津々浦々にまで行き渡るのは、平安時代?かなり多数の地方領主が恭順して、プロトタイプの神社を作った。

ツギハギの知識とちょっとした思いつきの私の正月の妄想です。


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2016年11月22日

天井川から、農耕の黎明を探る。

先日、隧道でなくなったR1と旧草津川との交差部を通った。
その時、ふと古(いにしえ)に思いを巡らした。

◎往時のR1草津川隧道 「失われゆく土木遺産(その1)」草津川隧道(トンネル)
◎最近の状況 ミヤソル社長のブログ>草津川トンネル : 2016/02/03

まさか、川の土手が自然に高くなる訳もない。
天井川、氾濫した川の真ん中に川道を作り、掘った土砂を両脇に積んで土手(堤防)にする。
古から脈々と繰り返された農業土木事業の結果が今の形になっているのだろう。
氾濫した川を直そう、というモチベーションは、
すでに氾濫したことで農地が損なわれたということがあるから?。
(その農地はもしかしたら稲作ではなかったのかの知れない)

ただ、巨大な土手の断面を見ていると、
この土手を作り始めた時、 既に近江の地に耕作地が広がっていた、
今切り崩された切り口の土手の積み上がった年代を調べる事が可能なら、
「近江の地に「農業」が発生したのがいつごろなのか?」
ということが、わかるのではないだろうか?と夢想した。

もう、既に調査済みで色んな事がわかっているのかもしれない。

広々と広がる田園風景は、弥生時代もしかしたらそれ以前から続く景色ではないだろうか。
琵琶湖も含めそんなランドスケープそのものが、滋賀(近江)の文化財なのだと思う。

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2016年10月02日

巾20cmの道を歩かないとたどり着けない滋賀の重要文化財

数年来「美の滋賀」の端っこに関わった結果、私が滋賀の美や文化財ってこんな感じかなー、
と考えたコピー。

路傍に鎌倉が存し、地に史(ふみ)を蔵す。
景(ケイ)は弥生を映し、祝祭に神代を覚(カク)す。
寺社には 平安室町が残り、町には 江戸明治昭和が残る。
そして、民は 古(いにしえ)の香りをどこかに宿している。


一度、実物見たかった、重要文化財の竜王町島の石塔(鎌倉時代とのこと)
この石塔は、滋賀の文化財の有り様を最も端的に表しているモノの一つと思う。
バランスは良く、それなりに美しいが、
頂部はなくなり、表面は数百年の年月を写している。
そして、圃場整備された広々とした田園風景の中に、ポツンとある
石塔への参詣道は、草の絡みつく巾20cmの既製品の畦畔ブロックだった。

IMG_1506.JPG

滋賀の文化財は、このような田んぼの中や小さな集落が護持する小さなお堂に点在する。
広々と広がる稲作の田園風景は、弥生時代から続く景色ではないだろうか。
まさか川の土手が自然に高くなる訳もなく、
天井川も古から脈々と積み上げられた、農業土木事業そのものだ。
琵琶湖も含めそんなランドスケープそのものが、滋賀(近江)の文化財なんだ。

点数は多いが、薄く広く広がっている滋賀の文化財を
観光収入に結びつけるのは、中々むつかしいなー、と思う。

IMG_1504.JPG

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2016年07月24日

高島 鴨稲荷山古墳

160724kamo1.jpg

おはようございます。今朝の京都新聞に鴨稲荷山古墳の記事。
訪れるたびに、その石棺の歴史的価値に比べると、
余りにも貧相な覆屋に情けない思いがするのである。

スケッチのようなことできないかなー。無駄な公共投資かもしれないけど、
古墳時代に想像を逞しくできるランドスケープ(屋外空間)構成できればいいのに、
それに見合う歴史的資料がそこにあるのに、もったいないなー、と思う。

160724kamo2.jpg
鴨稲荷山古墳整備計画私案(笑)

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2015年12月15日

近江の古地図

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滋賀の1837古地図。だそうです。ちょっと調べてみたら面白い。
1837は、天保8年、
徳川家慶12代将軍が、即位したのが、天保8年4月2日。新将軍になって、石高改定の調査した??
高島市の集落はほとんど現在と同じ。
ただ、道の繋がりは、違うのか間違っているのか、今と異なるところも沢山ありました。
私の集落知内は900石だったそうです。

日本の税徴収に使われた200年前の古地図「近江国絵図」を
スタンフォード大学がデジタル化


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2015年08月15日

昭和20年8月15日の昭和天皇の一日

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少しくどいかもしれませんが、昭和20年8月15日、70年前の今日。
新聞をとっておくということは、殆ど無いのだが、
昨年(2014)宮内庁から広報された、昭和天皇実録の新聞は、残してある。

昭和天皇は、6:40 起き抜けに、陸軍のクーデターの報告を受ける。
この記録では具体的にどのように制圧されたのかは分からないが、
7:35には、制圧の報告を受ける。
正午をまたぎ、枢密院会議を開き、玉音放送はその会議を中断して、みんなで聞く。
午後には、総理大臣の交代の裁可をする。
当日、鈴木総理大臣(77)は代わり、阿南陸軍大臣(58)は、自刃して果てる。
大臣は代わるが、天皇(44)は代わることはなかった。
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2015年08月14日

昭和20年8月14日の昭和天皇の一日

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新聞をとっておくということは、殆ど無いのだが、
昨年(2014)宮内庁から広報された、昭和天皇実録の新聞は、残してある。
昭和20年8月14日、70年前の今日、
昭和天皇は、8:30には、打合せを始められ、
その後断続的に、戦争終結の会議・打合せ・裁可手続き事務をされ、
その会議で承認された詔書案(有名な玉音放送)を、
23:20〜0:20に、録音されたとのこと。

終戦の最終決定の御前会議のとき
昭 和 天 皇 44歳
鈴木総理大臣 77歳
阿南陸軍大臣 58歳
米内海軍大臣 65歳

宮内庁が公表した昭和天皇実録ということで、
どれくらいバイアスがかかっているのかは分からない。
しかし、従前の方針を180°転換するその会議の結論をまとめることを出来たのは、
昭和天皇しかおられなかったのだろう、と思う。

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2015年08月09日

墓地掃除をしながら、ぼんやりと考える

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お盆の季節である。写真は昨年のお盆の写真。
もう墓標もなく土饅頭なってしまった祖父母の埋葬地の草刈りを、今日しました。
例年と同じように綺麗になりました。

暑い中、草を刈っていて、ふと「円墳」を考えた。
この形を立派に整えたのが円墳だろう。
そして、前のお供えする場が、前方後円墳の「前方」なのだろう。
前方が台形になっているのは、高貴な人が、家来を引き連れて式典をしたら、
TOPから末広がりの場所が必要だったんじゃないか。
空想が空想を呼ぶ。
こんな風に、歴史は、年号を覚えることじゃなく、
「資料を考察する」学問なのだ、って教えてくれたのは、
いつものつまらない授業じゃなく、
たまたま、中学校に赴任した、教育実習の若い「先生」の
多分、数回にも満たない授業だった。
当時は、大人に思えたが歳の差が7,8歳。今頃、どうされているのだろう。

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2014年07月11日

大船鉾という「山鉾」が復興されたというニュース

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再度、この前の京都新聞の祇園祭ネタ。

大船鉾という「山鉾」が復興されたというニュース。

「この前」焼失したのが禁門の変、っていうのもナカナカ。
再建の技術協力が、一級建築士っていうのも、
全く知らない方ではありますが同業者としてなんだか誇らしい。
このような、絶えることのないリニューアルが「伝統」なのだろう。
そして、このように無くなってもまた鉾を再興できる保存会が営々と存続している
「京都の町」の経済社会そのものこそが「伝統」なのだろう。

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2014年07月05日

祇園祭の京都新聞の全面広告

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つい先日の、京都新聞の全面広告。

茶事や祭など、京都新聞の歳時記的広告や記事は、
(歴史的重層のある)「京都」ならではやなー、と思うのである。

各鉾の御朱印?集めただけで、一幅の版画になる
市井の人々の年月の積み重ねからなるデザイン的洗練に、感動したのでした。

今年の祇園祭のメインも例年通り7/14〜17だそうです。

http://kyoto-design.jp/special/gionmatsuri/schedule

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2012年11月05日

戦国武将とびわ湖の景色

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先日は、対岸の山がとても良く見えました。
びわ湖東岸を駆け抜けた戦国の武将に思いを馳せてみた。

写真を、3回クリックすると元データと同じ画像の大きさ、山にまつわる戦国武将たち。
121101biwako2.jpg

もう少し大きいデータの画像。これも3回クリック。パノラマ感出ていると思います。
121101biwako.jpg

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2009年10月14日

顕如と織田信長

息子は曲がりなりにも龍谷大学を卒業した。
その関係で、時々大学からの書類などが届く。
大概は保護者会などの関係なのだが、先日は息子が専攻した科目の関係なのか
「佛教史研究 2009.7 No.45」 という、小冊子が送られてきた。
息子がそこへ行っていなければ、
多分一生、目にすることもなかっただろうその冊子を少し暇に任せて読んでみた。

その中の一文 − 信長の「天下」と一向一揆

この一文は、主に石山本願寺開戦に至る経緯を、様々な書状などから分析している。
難しい原文を読み飛ばして、あらすじをつかんでみると以外と面白かった。
信長と戦った摂津石山本願寺の顕如上人は、
私のイメージでは、各地で起こる民衆の蜂起である一向一揆の総本山、
当時の虐げられた庶民の代表のような感じで受け止めていたのですが、
実際は、奥さんは公家の娘、蓮如上人から続く本願寺の興隆で、
既に、公家や室町大名からの縁故関係の係累も多くなっていた、貴種といっていい人物。
大教団の世襲制度の中の一人だったということは、以外だった。

以下は私の読後感

結局、信長の石山本願寺戦争や比叡山の焼き討ちなどの行為は、
宗教弾圧などということとは少し違うようだ。
室町幕府の衰退に伴い、
宗教集団が独自で治外法権のような自治権を各地で蚕食獲得するようになってきた。
それを、信長という人物が絶対に許さず、徴税・警察・軍事面で、
統一国家としての体(テイ)を作り上げるための行為だったようだ。
国家の体というのは、中々大変なようで、
江戸時代でも、戸籍というものは存在せず、お寺が管理する檀家の名簿が、
それの代わりとなっていた。とのこと。
戦国時代なら、なおさらまだ公家や寺社の影響力が多方面で相当強かったのだろう。

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2009年06月13日

古墳の丸太垣は死者の魂を封じ込めたい??

奈良・桜井茶臼山古墳:王墓囲う「丸太垣」 神聖な空間を区画−−初確認という記事

何で、考古学に関する新聞の記事は、すぐに呪術とか神性とかいう言葉をすぐに持ち出すのだろう。
素直に考えれば、まだ日本という統一国家が芽生えるかどうかという時期、
他の部族に自分の王の墓を荒らされてはたまらない。
それこそ、その部族の存続のアイデンティティに関わること、
当時の時代の各部族存亡の闘争という生々しい現実の跡
と、考えるのが常識的だと思う。
古事記や日本書紀の※※(例えば出雲)の「神」という言い回しも、
出雲地方の「統治者」という意味合いで考えると
それなりに、色々な歴史が古文書から類推できる、
というような本も読んだことがあります。
そういうと、江戸時代でも、勝安房守は、「カツアワノカミ」
と「カミ」という韻を踏んでいます。
古代の事になるとすぐに、変な呪術的な方向へ話が捻じ曲げられるような気がしてなりません。
科学的知識の集積量は異なりますが、今も古代人も、
物事を、合理的に行おうという考え方には何ら変わりがないのではないかと思います。
埴輪の目の大きいやつも、呪術的な誇張というよりは、
じっと見ていると、どのような理由かはわかりませんが、
新生児を写実的にかたどったように見えるのは私だけでしょうか?
物事を、今の常識的思考で考えてみてはと思うのですが・・・

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2008年10月15日

今日(08/10/15)珍しくTV番組に感動しました

ちょっと感動してしまったので、
今日NHKのTV番組で放送された番組の書籍の序をインターネットから転載しました。

その昔この広い(※1)は,私たちの先祖の自由の天地でありました.天真爛漫な稚児の様に,
美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は,真に自然の寵児,なんという幸福な人だちであったでしょう.
 冬の陸には林野をおおう深雪を蹴って,天地を凍らす寒気を物ともせず山又山をふみ越えて(※2)を狩り,夏の海には涼風泳ぐみどりの波,白い鴎の歌を友に木の葉の様な小舟を浮べてひねもす魚を漁り,花咲く春は軟らかな陽の光を浴びて,永久に囀(さえ)ずる小鳥と共に歌い暮して蕗(ふき)とり蓬(よもぎ)摘み,紅葉の秋は野分に穂揃うすすきをわけて,宵まで(※3)とる篝(かがり)も消え,谷間に友呼ぶ鹿の音を外に,円(まど)かな月に夢を結ぶ.嗚呼なんという楽しい生活でしょう.平和の境,それも今は昔,夢は破れて幾十年,この地は急速な変転をなし,山野は村に,村は町にと次第々々に開けてゆく.
 太古ながらの自然の姿も何時の間にか影薄れて,野辺に山辺に嬉々として暮していた多くの民の行方も亦いずこ.(※4)は,進みゆく世のさまにただ驚きの眼をみはるばかり.しかもその眼からは一挙一動宗教的感念に支配されていた昔の人の美しい魂の輝きは失われて,不安に充ち不平に燃え,鈍りくらんで行手も見わかず,よその御慈悲にすがらねばならぬ,あさましい姿,おお亡びゆくもの……それは今の私たちの名,なんという悲しい名前を私たちは持っているのでしょう.
 その昔,幸福な私たちの先祖は,自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変ろうなどとは,露ほども想像し得なかったのでありましょう.
 時は絶えず流れる,世は限りなく進展してゆく.激しい競争場裡に敗残の醜をさらしている今の私たちの中からも,いつかは,二人三人でも強いものが出て来たら,進みゆく世と歩をならべる日も,やがては来ましょう.それはほんとうに私たちの切なる望み,明暮(あけくれ)祈っている事で御座います.
 けれど……愛する私たちの先祖が起伏す日頃互いに意を通ずる為に用いた多くの言語,言い古し,残し伝えた多くの美しい言葉,それらのものもみんな果敢なく,亡びゆく弱きものと共に消失せてしまうのでしょうか.おおそれはあまりにいたましい名残惜しい事で御座います.
 (※5)に生れ(※6)の中に生いたった私は,雨の宵,雪の夜,暇ある毎に打集って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中極く小さな話の一つ二つを拙ない筆に書連ねました.
 私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事が出来ますならば,私は,私たちの同族祖先と共にほんとうに無限の喜び,無上の幸福に存じます.

以上は大正十一年三月一に上奏された知里幸惠編訳「アイヌ神謡集」という本の序です。
伏字の部分は、
(※1)北海道(※2)熊(※3)鮭(※4)僅かに残る私たち同族(※5)アイヌ(※6)アイヌ語、です。
でも、今この文章を見ると、伏字の部分がどんな言葉にでも置き換えられて、
現代の文明を批評できる、とても普遍的な文章に思えます。
およそ80年前の文なのですが、今書かれたとしても色あせていない、凄い文章です。
19歳で亡くなった、アイヌ人女性の最初で最後の本だそうです。

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