
床屋政談01
こんな場所に元の住民の方々は帰ってはいけない、と思う。
喜ぶ住民の声だけを載せる新聞にも非常な違和感を感じる。
ここに住まう人は、国会で「福島は人災」と決定されたことに、
関わった人たちが、余生を過ごす場所だと思う。
そこで、育った米や野菜を食べ、取れた魚を食い、
放射線の影響をモニターしながら余生を送る。
それをする以外に不必要な資産は、全て被災者に還元する。
そんな形ででも責任をとってもらわないと、納得ができない。
トップに立つ人の矜持。何かが起こったら、
全責任は私にある、としてその後の処理をすべきである、と思うのだが
責任者は、裁判で争って「法的責任」を回避しようとしている。
確かに「法的責任」は微妙なことがあるのかもしれない。
裁判で争っている人達が、本当はどのように考え、
どのようにそれ以後生活しているのかは、報道では中々わからない。
しかし、「結果に対する責任」を持つのが、
国や会社を管理する者のトップのトップたる所以ではないのか?
安倍さんの経済政策は、前よりはベターな感じ持ってるんですが、原子力政策は納得できません。
◎関連MYブログ 10/07/24
貴闘力の哀れと、官僚の無謬性最近また、
地層処分の広報がよく出るようになってきた。
大量の制御しにくい核廃棄物が、福島にある事を考えれば、
それを掘り起こしてどこかへ持っていくことこそ不合理。
やはり、本筋は福島(と青森?)で何とかする、
っていうのが常識的・合理的結論だと思うのですが、
また、適地を探すみたいな広報してて、広告費の無駄だと思う。
最近でも、タケノコの話もあったし、除染って出来ないんだし、
「食べて※※復興」って、そのコンセプトがおかしいし。
汚染された地域(大阪府の1〜2倍の大きさくらい?)は、
高速道路と鉄道と原発関係者だけで、100年位、ほっておく。
そこに、核廃棄物集積するのが当たり前の解法。
そして、その「地域」を再生するのではなく、
その「地域に住んでいた人々」に、生きる手段と希望を与える、
ということに力を注ぐべきだと思う。
なぜ行政は、公害や薬害やアスベスト被害等の経過に学ばないのだろう?
ガンの被害報告や奇形児の出産(中絶)報告も真偽は分からないが、
ネットでは、たくさん散見されるようになってきた。
そんな不安のある土地に、何故わざわざ帰らなければならないのだろう。
人口減で土地や建物余ってる時代なんだから、
お気の毒とは思うが、当事者には新天地を見つけて欲しい。
その方が「幸せ」に近いと思う。
100年後には、手付かずの大自然という贈り物が出来ているかもしれない。
足尾鉱毒対策で出来た渡良瀬川遊水地のように。
そうなってから、地域の再生を始めればいい。
昨年の天皇陛下の、渡良瀬川遊水地と足尾環境学習センターのご視察は、
そのあたりの御真情を明快に示唆した、
非常に政治的なコトのように、私には見受けられたのだが、
(というか、このご視察で鉱毒事件と巨大な遊水地の関係性を知った)
そのご意思を忖度する、国政の担い手は今、いないみたいだ。
(大言壮語で恥ずかしいのだが)
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