働き口がない、町に活気がない、若者が定住できるように、
などという意見の中で、一人の方が、
「せめて、長男だけでも地元で働くことが出来るように」
というような発言をされました。
その時は、話の流れの中でしごく当然で何とも思わずに帰ってきたのですが、
家に帰って、その会議のことを反芻していたら、
この発言がでる考え方がおかしいのではないか、と思い至りました。
会社って、仕事って、以外と厳しいものです。
それで、大きな企業は人をより分けて採用します。
その中で、会社の資産を有効に活用し人材を育て、企業を存続させている。
いなかという地域だって同じこと、
高島 という地域の資産を有効に活かし、活動できる人材こそ必要。
それは 長男 ではなく、家の中で一番それに適した能力のある人であり、
その他にも、JターンやIターンして、高島という地域を知り、それを活用できる人々、
なのでは、ないでしょうか?
長男に家を存続させる、それで地域が存続し続ける、
という考え方自体、停滞や衰退を生む考え方の指向のように思えるのです。
地元にいる人間としては、活力ある人々に集ってもえるように、
地域の資産・良さ(人情なども含めた)、発信することこそが、必要とされていると思います。
そして、それを客観的に表現できる人は、もしかしたら地元の人間ではなく、
高島に生まれ育ったわけでもないのに、
若くして、高島という地域を 選択 して定住した人々なのではないでしょうか。
その 選択 の理由には、
経済的じゃない、今日的なある種の選択肢の指向が見えてくるように思われます。
そこには、環境や自然以外にも、そんなにあくせくせず、足ることを知り、のんびりと、
などという 精神的情緒的安定 みたいなことが一つのファクターとしてあるようなきがします。
追記)永六輔さんの無名人名語録、という中に次のような一節があります。
◎ オレの村に残っている若いのっていうと、
村を出られない親孝行な長男と、親にだまされている長男だけだよ。
◎ 私は若い者が村を捨てて都会に逃げていったなんて思いませんよ。
村の若い者が、都会へ進出したと考えています。昔の大本営発表みたいですけど。
1987年発行の古い本ですが、私の田舎認識のベース部分を形成したバイブルのような本です。
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