ピースとハイライト、よくあそこで歌った??
それらしく思われるスタンス見せたかっただけじゃない。
新曲「平和の鐘が鳴る」っていうらしいけど、NHK放送90周年イメージソングにも決定、って。
2,3日前に紅白出場が決まった、って。
よく云うよ。
何もかも、ちゃんと立派なレールに引かれた通りじゃん。バカバカしくて。
五線紙 1980 歌 竹内まりあ 詞 松本隆
♪ あの頃のぼくらは
美しく愚かに
愛とか平和を詞(うた)にすれば
それで世界が変わると信じてた ・・・
を、まっただ中に通り過ぎた世代、
歌に時代を変革させるまでのメッセージ性 何てあると桑田さん、思ってない。
企画側が、それらしく思われるスタンス見せたかっただけ。
紅白で歌った二曲とも、歌えて儲かる商売のネタ、としか思えない。
カムバックした時、
宇崎竜童さんみたいなスタンスでやるのかと思ってたんだけど、
今も以前と同じマスマーケティングビジネスの寵児のママ、何故なんだろう。
何で、そうまでして「アミューズ」さんに奉公するんだろう。
勲章ももらって、功成り名を遂げたんだから、好きなことやればいいのに。
このまま神輿に乗ったままでいて、加藤和彦さんの悲劇みたいにならなければいいのに、
と、思ってしまう。
私の大好きだった桑田さん、
たまーに、茅ヶ崎の砂浜や、鎌倉か下北沢辺りのライブハウスて、
ゲリラライブしたらしい、
みたいな感じで、時々消息が漏れ伝わるくらいのほうが、私は好ましい気がする。
◎がんばらないでアミューズ(以下以前活動停止した時の私の妄想)
1981のはらゆうこさんのアルバム、はらゆうこが語るひととき
というアルバムの中には、がんばれアミューズという歌があります。
1番の歌詞が
♪Hey Mr.大里社長
とても 言葉などじゃ 云いたりません
勝手なお願いばかりで
せめて今宵かぎりは黙って
十八番のハッタリを慎しめ(社員の立場になってね)
2番が山本専務、3番が池田部長、そして、最後に
♪オめしの種の Amuse
で終わる、この歌は当時の仲間内的雰囲気の
Amuseという会社の人間模様をコミカルに表現しています。
中々面白い歌なのですが当時あまり電波では流れませんでした。
その理由は、
「Amuseという会社名を宣伝することになってしまうから、マスコミでは流れない。」
という、当時の友人の言葉を私は素直に信じていました。
それさておき、
当時のAmuseはサザンオールスターズが活動を中止するというニュースで
Amuseの株価が下がるという事が、日本の経済のニュースとして扱われるようになった、
今のAmuseとは明らかに異なります。
当時のAmuseは、何曲かヒット曲もとばしたサザンオールスターズにとっては、
やりたいことをする「道具としての会社」だったと思います。
会社の名前にも「好きなことを、楽しくやろうぜ」という感じがストレートに付けられています。
その後桑田さんの才能とまじめさ、そして会社の人達も有能だったのでしょう。
Amuseは、どんどん大きくなってゆきました。
TUNAMI(つなみ)以降のヒットソングは、ヒットするだけあって悪い歌では決してありません。
しかし私は、みんなが持ってるサザンのイメージを壊さないように作っているなー
という感じを受けていました。
何だか、アイドルがヒット曲を出す時、
プロデューサーから企画提案書が上がり、今度はこのようにして売って行こう、
という、音楽の造り方と似通っているように感じたのです。
それは、サザン(桑田さん)が屋台骨を支えている
Amuseという「会社の道具」とあえてならざる得なかった結果なのではないか、と思うのです。
そんなに大きくならなくてもいいじゃない、「がんばらないでアミューズ」
と思いながら仕事されていたのではないでしょうか。
私は、今 桑田さんは、
Amuseさん、アーティストがその才能を発揮させる場所を提供するのが、
この会社の存在理由そのものであり、そうでなければ会社なんていらない。
私に頼らずひとり立ちしてよ。
そして、サザンというグループがグループとして
いつかまた、本当にやりたいことが出来れば、又帰って来るよ。
今回のニュースは、そんな決断の結果のようなきがします。あくまで、私の妄想です。
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