今の自分を正しく見て今後どのように生きるかを、再度選択していくことこそ重要です。
伊能忠敬が江戸で天文学の勉強を始めたのが、豪農の庄屋の主人という人生を全うし、
隠居の身(確か50代後半)になってから。
実際に北海道から測量をし始めたのは60歳位だったはずです。
そして今、我々が彼を知っているのは、
彼の60歳から亡くなる70数歳位までの十数年間の生き方の結果です。
1891年生まれの建築家、村野藤吾は、40〜50代の油の乗り切った20年間に、
戦争と戦後という時期が重なり、これという作品をほとんど作ることが出来ませんでした。
ようやく1953年になって設計した広島の世界平和記念聖堂が62歳の時、
芸能人の結婚式などでよく使われる新高輪プリンスホテルの宴会場は彼の91歳の作品です。
40や50で人生が開け始めた人なら枚挙の暇がありません。それまでの、
人生の蓄積は重要ですが、チャレンジはその気があれば幾つからでもできるものです。
ちょっと横道にそれるかもしれませんが、ある労働組合の委員長を経験した人の話も一つ。
彼が、卒業した時代は、石油化学工業が、発展する花盛りのころ。
大学で成績の良いやつは、みんなそんな大会社に就職した。
入れる所をに入った中堅の会社で十数年、何故か祭り上げられて労働組合の委員長に。
その会社は、時代の波に乗ったのか業績がよかった。
そんな時ふと、ニュースでチッソ水俣病を見た。
大学当時成績優秀だった先輩方が、役員となっていた。
そこでは、何度も平身低頭する彼らの姿が映し出されていた。
人生の運不運というものは、本当にわからない。と、語っておられました。
昨年にも、松岡さんは、多分本人の人生の目標の頂点でもあっただろう、
農林水産大臣という職に付いたことが、大きな不幸の発端となっています。
人生は、何があるかわかりません。
ただ、老齢になって花の咲く人は、それまでに多くの蓄積があってのことです。
いくつかの挫折は、それをちゃんと正視することによって、
あなた自身のとても大事な経験や知識の蓄積になるはずです。
子供に煙たがられているオヤジが、35年前の青春を思い出し、
その後の人生経験から僭越ながら文章をまとめてみました(8)
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